メディアに取り上げられたラジオ

リクエストの日(10月25日)

◯リクエストの日(10月25日)

 

リクエストの日

10月25日は「リクエストの日」。

1936年の10月25日、ドイツ放送ベルリン局(Deutschlandsender Berlin)で、ラジオのリクエスト番組が始まったことに由来する、と言われている。

ことの発端は1935年のクリスマス、オーケストラによる生演奏番組の放送中に、リスナーから、自分の好きな曲を演奏してほしいとの電話が入った。番組はこれに応えた。これが世界初の電話リクエストと言われている。

しかし、注意深い人はお気づきかもしれない——「10月25日じゃないじゃん」。世界初の電話リクエストは1935年の12月25日だが、1936年の10月25日まで10か月の時間差がある。

この話には続きがある。

1935年の12月25日にリクエストが叶ったリスナーは、お礼として「ドイツ民族冬季援助活動」(Winterhilfswerk des Deutschen Volkes)に20ライヒスマルクを寄付した。救世軍の社会鍋のような慈善活動と思われる。

この出来事に着想を得たドイツ放送アナウンサーのハインツ・ゲデック(Heinz Goedecke)は、年明けの1936年1月14日、「冬季援助活動のためのリクエスト・コンサート」(Wunschkonzert für das Winterhilfswerk)を放送。今の日本で言うと、「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」(ニッポン放送、毎年12月24日12:00〜12月25日12:00)みたいなものかもしれない。

肝心の1936年10月25日開始の番組については、結局、今のところ判らずじまい。ウェブ上の文章や書籍を結構調べたのだけれど、10月25日の番組について具体的な記述が見当たらない。推測だが、同じコンセプトの番組がレギュラー化したものと思われる。調査継続中。情報をおもちの方は、是非ご教示を。

いずれにせよ、心温まるラジオのいい話だ。

「国防軍のためのリクエスト・コンサート」

しかし、以上はすべて、ナチス政権下で起こった出来事である。

人間は、いかなる時にも善意とユーモアを失わず、他者をいたわる存在であるとも言えるが、裏を返せば、普通の善良な市民が、他者の殲滅を目論む専制に容易に加担しうるとも言える。皮肉な真実である。

その後、番組は方向転換する。

ドイツ軍のポーランド侵攻によって第二次世界大戦の口火が切られたのは1939年9月1日。そのちょうど1か月後の10月1日、番組は、兵士たちのリクエストに応える「国防軍のためのリクエスト・コンサート」(Wunschkonzert für die Wehrmacht)へと衣替えし、前線・銃後における国威発揚と軍資金調達のために利用された。

この番組は、エドゥアルト・フォン・ボルゾディ(Eduard von Borsody)監督のプロパガンダ映画『リクエスト・コンサート』Wunschkonzert(1940年)の題材として取り上げられた。


エドゥアルト・フォン・ボルゾディ[監督]
『リクエスト・コンサート』Wunschkonzert(1940年)

演壇に立っているのがアナウンサーのハインツ・ゲデック。
 

※[お願い]登場したドイツ語の固有名詞に定訳があれば、是非ご教示下さい。

「前線へ送る夕」(NHK)

ちなみに、日本で戦時中に放送されていた「前線へ送る夕」(東京放送局=現在のNHK)は、「国防軍のためのリクエスト・コンサート」を参考にしたものである。


「前線へ送る夕」
 

※当ブログ内の関連エントリー:

ラジオのダークサイド:NHKスペシャル 「なぜ隣人を殺したか〜ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送〜」(NHK総合テレビ、1998年1月18日(日)21:00-21:58)


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本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)

○本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)

 


本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)
ジャケット表に監督名の記載はない。
 

『踊る大捜査線』シリーズの本広克行映画初監督作品

ラジオを題材にした映画で、DVDにもBlu-rayにもなっていないものが結構ある。ラジオ酔狂も膏肓に入り、そういう作品のVHSテープをいくつも持っている。

『7月7日、晴れ』(1996年)もそんなVHSテープの1本。「踊る大捜査線」シリーズ(フジテレビ)の本広克行の映画初監督作品。

2006年にさぬき映画祭再上映されたという情報もあるけれど、今や中古のVHSでしか入手できない。


 

『昭和40年男』Vol.14 2012年 08月号(クレタパブリッシング)掲載の本広克行のインタヴューに、この映画への言及があった。封切り当時にこの映画を観た織田裕二が「スゴイよかった。日本人でもこんな映画が作れるんだね」と感想を語ったというので、「そんなにスゲェんだったら、観てやろうじゃないか」と思い立った次第。

話は、七夕伝説と『ローマの休日』Roman Holiday(1953年)を足して2で割ったようなトレンディー・ドラマ風ラヴ・ストーリー。主演は、萩原正人と観月ありさ。他には、田中律子、うじきつよしなどが出演。

時代だなぁ。

テーマ曲「7月7日、晴れ」(1996年)をはじめ、「うれしい!たのしい!大好き!」(1989年)、「go for it!」(1993年)、「WINTER SONG」(1994年)など、DREAMS COME TRUE の初期のヒット曲が全編にわたり大々的にフィーチャーされていて、サントラは初期ベスト盤の趣。

時代だなぁ。

クライマックスの部分でラジオが重要な役割を果たす映画でもある。

あらすじ

山部健太(萩原聖人)は、パシフィック自動車の車輛事業部に勤務するサラリーマン。仲間とのキャンプ中、釣りをしている最中に、ひとりの女性と出会う。その女性は、また東京で会おうと言い残し、健太の手に強引に自分の電話番号を書いて去ってゆく。


 

東京に帰った健太は、彼女が世界的に活躍している日本人シンガーの望月ひなた(観月ありさ)であることを知り、連絡を取る。何度か会ううちに引かれ合ってゆくふたり。

ひなたは健太に、自分の誕生日は7月7日なのに天の川を見たことがないと吐露する。健太は一計を案じ、ひなたを誘って再び仲間とキャンプに出かける。ひなたはそこで、初めて天の川を目にして感動する。


 

健太とひなたが東京で会っている時に、通行人に気づかれてしまい大騒ぎになる。健太が勤務する会社の宣伝部長・岸和田(伊武雅刀)は街で偶然その様子を目撃する。営業部から宣伝部に異動したばかりの岸和田は、望月ひなたを新車のCMキャラクターに起用する企画を立てたものの、ひなたサイドから断られていた。


 

ある日、健太は突然、宣伝部に引き抜かれる。その理由は、健太とひなたの関係を知る岸和田部長が、新車の発表会にひなたを誘い出すためだった。営業一筋の岸和田が畑違いの宣伝部長に抜擢された理由は、同期のライヴァルが岸和田の失脚を画策したからだという。何としても宣伝部で実績を挙げて鼻を明かしたいと、岸和田は健太に土下座して懇願する。健太は、岸和田の願いを聞き入れる。

健太はひなたを新車の発表会に誘い出す。発表会のクライマックスで、客席に突然スポットライトが当てられ、ひなたは宣伝に利用されてしまう。


 

この件がひなたサイドの逆鱗に触れる。しかしこれをきっかけに、大人の話し合いを経て、ひなたのCM起用が決まる——ただし、健太とひなたを別れさせるという条件で。ふたりは会えないまま、ひなたが日本を発つ日が近づく。

日本滞在の最後に、ひなたはラジオ番組に出演する。ひなたは、決められた原稿をただ淡々と読み上げてゆく。彼女はこれまでスタッフが決めたイメージ戦略に沿ってアーティスト望月ひなたを演じるだけの人生を送ってきたのだ。

夜景が都会の天の川のようだというくだりで、ひなたは原稿を読むのをやめる。健太と見た天の川を思い出し、台本を閉じ、「違うよ。本当の天の川はこんなんじゃない」と初めて自己主張する。

ひなたが、「お願い、灯を消して。天の川を見せて」とリスナー呼びかけるや、横浜の街の灯がみるみるうちに消えてゆく(驚くべき高聴取率ラジオ番組!)。ひなたは健太を思い、「会いたい」とつぶやく。

 
 

一方その頃、ラジオを聴いた健太はひなたのもとに走っていた。


 『7月7日、晴れ』ラスト・シーン
 

そして、天の川の下、健太とひなたは再会。抱き合うふたり。めでたしめでたし。

劇中のラジオ局

作品に関するトリビア。

クライマックスのラジオのシーンでは、局舎・スタジオが横浜ランドマークタワー内にある設定。したがって、舞台はFMヨコハマかと思ったけれど、架空の放送局のようだ。局舎内に貼られているポスターには「BAY GROOVE FM 89.3MHz」とある。


 

撮影に使われているラジオのスタジオがFMヨコハマのものかどうかは不明。あるシーンで、スタジを出たところに「4802」という部屋番号が映るが、FMヨコハマの局舎はランドマークタワーの10階。エンドロールの「ロケーション協力」にもFMヨコハマの名前はない。


 

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本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)

○本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)

 


本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)
ジャケット表に監督名の記載はない。
 

『踊る大捜査線』シリーズの本広克行映画初監督作品

ラジオを題材にした映画で、DVDにもBlu-rayにもなっていないものが結構ある。ラジオ酔狂も膏肓に入り、そういう作品のVHSテープをいくつも持っている。

『7月7日、晴れ』(1996年)もそんなVHSテープの1本。「踊る大捜査線」シリーズ(フジテレビ)の本広克行の映画初監督作品。

2006年にさぬき映画祭再上映されたという情報もあるけれど、今や中古のVHSでしか入手できない。


 

『昭和40年男』Vol.14 2012年 08月号(クレタパブリッシング)掲載の本広克行のインタヴューに、この映画への言及があった。封切り当時にこの映画を観た織田裕二が「スゴイよかった。日本人でもこんな映画が作れるんだね」と感想を語ったというので、「そんなにスゲェんだったら、観てやろうじゃないか」と思い立った次第。

話は、七夕伝説と『ローマの休日』Roman Holiday(1953年)を足して2で割ったようなトレンディー・ドラマ風ラヴ・ストーリー。主演は、萩原正人と観月ありさ。他には、田中律子、うじきつよしなどが出演。

時代だなぁ。

テーマ曲「7月7日、晴れ」(1996年)をはじめ、「うれしい!たのしい!大好き!」(1989年)、「go for it!」(1993年)、「WINTER SONG」(1994年)など、DREAMS COME TRUE の初期のヒット曲が全編にわたり大々的にフィーチャーされていて、サントラは初期ベスト盤の趣。

時代だなぁ。

クライマックスの部分でラジオが重要な役割を果たす映画でもある。

あらすじ

山部健太(萩原聖人)は、パシフィック自動車の車輛事業部に勤務するサラリーマン。仲間とのキャンプ中、釣りをしている最中に、ひとりの女性と出会う。その女性は、また東京で会おうと言い残し、健太の手に強引に自分の電話番号を書いて去ってゆく。


 

東京に帰った健太は、彼女が世界的に活躍している日本人シンガーの望月ひなた(観月ありさ)であることを知り、連絡を取る。何度か会ううちに引かれ合ってゆくふたり。

ひなたは健太に、自分の誕生日は7月7日なのに天の川を見たことがないと吐露する。健太は一計を案じ、ひなたを誘って再び仲間とキャンプに出かける。ひなたはそこで、初めて天の川を目にして感動する。


 

健太とひなたが東京で会っている時に、通行人に気づかれてしまい大騒ぎになる。健太が勤務する会社の宣伝部長・岸和田(伊武雅刀)は街で偶然その様子を目撃する。営業部から宣伝部に異動したばかりの岸和田は、望月ひなたを新車のCMキャラクターに起用する企画を立てたものの、ひなたサイドから断られていた。


 

ある日、健太は突然、宣伝部に引き抜かれる。その理由は、健太とひなたの関係を知る岸和田部長が、新車の発表会にひなたを誘い出すためだった。営業一筋の岸和田が畑違いの宣伝部長に抜擢された理由は、同期のライヴァルが岸和田の失脚を画策したからだという。何としても宣伝部で実績を挙げて鼻を明かしたいと、岸和田は健太に土下座して懇願する。健太は、岸和田の願いを聞き入れる。

健太はひなたを新車の発表会に誘い出す。発表会のクライマックスで、客席に突然スポットライトが当てられ、ひなたは宣伝に利用されてしまう。


 

この件がひなたサイドの逆鱗に触れる。しかしこれをきっかけに、大人の話し合いを経て、ひなたのCM起用が決まる——ただし、健太とひなたを別れさせるという条件で。ふたりは会えないまま、ひなたが日本を発つ日が近づく。

日本滞在の最後に、ひなたはラジオ番組に出演する。ひなたは、決められた原稿をただ淡々と読み上げてゆく。彼女はこれまでスタッフが決めたイメージ戦略に沿ってアーティスト望月ひなたを演じるだけの人生を送ってきたのだ。

夜景が都会の天の川のようだというくだりで、ひなたは原稿を読むのをやめる。健太と見た天の川を思い出し、台本を閉じ、「違うよ。本当の天の川はこんなんじゃない」と初めて自己主張する。

ひなたが、「お願い、灯を消して。天の川を見せて」とリスナー呼びかけるや、横浜の街の灯がみるみるうちに消えてゆく(驚くべき高聴取率ラジオ番組!)。ひなたは健太を思い、「会いたい」とつぶやく。

 
 

一方その頃、ラジオを聴いた健太はひなたのもとに走っていた。


 『7月7日、晴れ』ラスト・シーン
 

そして、天の川の下、健太とひなたは再会。抱き合うふたり。めでたしめでたし。

劇中のラジオ局

作品に関するトリビア。

クライマックスのラジオのシーンでは、局舎・スタジオが横浜ランドマークタワー内にある設定。したがって、舞台はFMヨコハマかと思ったけれど、架空の放送局のようだ。局舎内に貼られているポスターには「BAY GROOVE FM 89.3MHz」とある。


 

撮影に使われているラジオのスタジオがFMヨコハマのものかどうかは不明。あるシーンで、スタジを出たところに「4802」という部屋番号が映るが、FMヨコハマの局舎はランドマークタワーの10階。エンドロールの「ロケーション協力」にもFMヨコハマの名前はない。


 

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東日本大震災発生から5年。「区切り」は言及する人の立場を選ぶ。

○東日本大震災発生から5年。「区切り」は言及する人の立場を選ぶ。

 

2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う東日本大震災の発生から5年が経った。

大地震から5年経ったが、震災は今も続いている。

3月18日にはおおつちさいがいエフエム(岩手県上閉伊郡大槌町 77.6MHz)、3月24日にはエフエムあおぞら(宮城県亘理郡亘理町 79.2MHz)、3月27日女川さいがいエフエム(宮城県牡鹿郡女川町 79.3MHz)他にも、補助金の打切などで継続危機に陥っている局もある。コミュニティーFM化への財務上・経営上のハードルも高い。

災害FM、大槌など3局今月終了 資金不足、難しい自立(岩手日報WebNews)
震災で亡くなった方々の名前を読み上げるラジオ局「FMあおぞら」 | THE PAGE(ザ・ページ)
<女川さいがいFM>財政難 16年3月終了 | 河北新報オンラインニュース

朝日新聞デジタル:臨災FM局 存続は - 福島 - 地域
揺れる被災地の臨時災害FM 資金・人手、恒久化へ壁高く:日本経済新聞

5年目ということで、何かと、「区切り」や「キリの良さ」に関する言及を耳にする。中には「震災はもういいだろう」などと口にする人すら、メディアでこそ見かけないが、世間には確実にいる。

ただ、被災者のなかに、「もう5年だから、ひと区切り付けたい」という人が出てくるのは理解できる。ある程度は被災から立ち直る条件が整った人たちが、いつまでも震災のことを考えるのはツラいと考えたり、5年経っても状況は好転しないが次のことを考えたいという人はいると想像できる。「区切り」がもつ心理的効果が人を癒す例は枚挙に暇がない。

しかし、艱難辛苦の後の区切りは、言及する人の立場を選ぶ。

物理的には震災前と変わらない状態で暮らせている東京の人間が、「区切り」や「キリの良さ」という言葉を弄して総括したり、被災者に総括を迫ったりするのは、不遜で烏滸がましいことだ。

5年も起つと、メディアでの扱いも縮小してきた。東京に住んでいる人間にとっては、地震の身体的な記憶が生々しかった頃と違い、震災を直接感じる機会も少なくなってきた。とはいえ、区立図書館の新聞コーナーで福島民報や福島民友を見かけると、うちの区が受け入れた被災者の方たちが未だに故郷に帰れない事実を確認する。

5年と言えばキリは良いが、1827日と言えば普通の日だ。6年目が始まり、1828日目が始まる。

※当ブログ内の関連エントリー

東日本大震災の夜の星空を再現したプラネタリウム『星空とともに』を観てきた。

嘉門達夫「怒りのグルーヴ~震災編~」(1995年)

東日本大震災発生から4年、臨時災害FMの現状
※1年前の記事です。ご注意ください。


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坂田謙司「メディア遊びとミニFM——マイナーメディアの文化論」、高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)

○坂田謙司「メディア遊びとミニFM——マイナーメディアの文化論」、高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)

 


高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)
 

高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)という論文集に、ミニFMを扱った、坂田謙司「メディア遊びとミニFM——マイナーメディアの文化論」という論文が収録されている。

最近は、社会関係資本(social capital)という視点からミニFMをとりあげる論文がたまにあるけれど、坂田論文は、ユース・カルチャーあるいはカウンター・カルチャーという切り口からの考察。

何かを論証するというよりは、ミニFM小史といった趣。ミニFMの歴史のおさらいにとても役に立つ。

ミニFMブームは雑誌から火がついたと言われているけれど、雑誌からの引用が多く、脚注が記事目録としても使えて重宝する。

ミニFMに興味のある人はご存知かもしれないが、粉川哲夫は、「放送ごっこ」としてのミニFMと、アウトノミア的アクティヴィズムとしての自由ラジオを区別する。

もちろん、粉川の主張には理解できる部分もある。ただ、坂田論文を読んでみて、NHK・県域民放AM局・全国ほぼ同じ番組を流しているJFN系県域FM局という当時のラジオ界のメディア編成を考慮すると、自前の放送局を立ち上げて独自の価値を創造・発信しようというミニFMの試みにも、ある一定の自治の契機を認めることができるのではないかと確認した。

エドワード・サイード(Edward W. Said)スチュアート・ホール(Stuart Hall)を引くまでもなく、文化とはそもそも政治的で、したがって、どのようなレヴェルにおいても権力闘争の契機を含んでいるものである。

この時代のミニFMは、放送業界に多くの人材を送り込んだ。好意的に評価すれば、ミニFMは民間に埋もれた才能を発掘・涵養する梃子と揺籃の役割を果たした。批判的に評価すれば、ミニFMは結局のところ既存のメディア状況を転覆・攪乱するには至らず、むしろそれを強化するブート・キャンプの役割を果たした。

カウンター・カルチャーが、マスコミと大資本による介入を経て、既存の消費社会のサブ・カテゴリーに収まって弱体化するという図式は、すべてのサブカル的事象に共通しているように思われる。馬場康夫[監督]『波の数だけ抱きしめて』(1981年)も、まさにそういう話だった。

* * *

『メディア文化を社会学する』の他の論文

この論文集には、前掲論文の他、「「任侠映画」と『あしたのジョー』」「『スラムダンク』の「魅力」」など、社会学徒じゃない人も興味をもって読める論文も収録されている。気になったかたはご一読を。

なかでも、福間良明「『男たちの大和』と「感動」のポリティクス——リアリティのメディア論」が面白かった。福間は、安田武『戦争体験——1970年への遺書』(未來社、1963年)を引きつつこう言っている:

「他人の死に感銘を受ける」ということは、ときに「生者の傲岸」でもある。(p.261)

溜飲下りまくりであります。

目次
 はじめに
■第一部 視点を変えてみる
第一章 スポーツ中継とメディアの媒介性――実況放送の社会学(高井昌吏)
第二章 「見る」とは何か――三つの視覚モード(谷本奈穂)
第三章 「任侠映画」と『あしたのジョー』――「男らしさ」のメディア学(高井昌吏)

■第二部 歴史から現在を考える
第四章 『主婦之友』にみる台所と女性――生活空間の意味変容(村瀬敬子)
第五章 皇室イメージの戦前と戦後――大衆天皇制の文化社会学(石田あゆう)
第六章 「きょうの料理」にみる「伝統」の創造――テレビとジェンダーの社会学(村瀬敬子)
第七章 戦後沖縄と「終戦の記憶」の変容――「記念日」のメディア・イベント(福間良明)

■第三部 流行現象を読み解く
第八章 メディア遊びとミニFM――マイナーメディアの文化論(坂田謙司)
第九章 「若い女性」の誕生――雑誌が生み出す読者像(石田あゆう)
第一〇章 『男たちの大和』と「感動」のポリティクス――リアリティのメディア論(福間良明)
第一一章 『スラムダンク』の「魅力」――読者解釈と構造分析(谷本奈穂)

※当ブログ内の関連エントリー

東京のミニFM局リスト

『現代思想』特集:フェリックス・ガタリ 2013年6月号 vol.41-8(青土社)

馬場康夫[監督]『波の数だけ抱きしめて』(1991年)。

ミニFM局をネット検索で見つける方法。

仰木 豊[監督]『FM89.3MHz(えふえむやくざ)』(AMGエンタテインメント/楽映舎、2006年;2007年劇場公開)

モブ・ノリオ『JOHNNY TOO BAD 内田裕也』(文藝春秋、2009年)

新幹線ミュージックチャンネルを聴き納めしました。


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本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)

○本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)

 


本広克行[監督]『7月7日、晴れ』(1996年)
ジャケット表に監督名の記載はない。
 

『踊る大捜査線』シリーズの本広克行映画初監督作品

ラジオを題材にした映画で、DVDにもBlu-rayにもなっていないものが結構ある。ラジオ酔狂も膏肓に入り、そういう作品のVHSテープをいくつも持っている。

『7月7日、晴れ』(1996年)もそんなVHSテープの1本。「踊る大捜査線」シリーズ(フジテレビ)の本広克行の映画初監督作品。

2006年にさぬき映画祭再上映されたという情報もあるけれど、今や中古のVHSでしか入手できない。


 

『昭和40年男』Vol.14 2012年 08月号(クレタパブリッシング)掲載の本広克行のインタヴューに、この映画への言及があった。封切り当時にこの映画を観た織田裕二が「スゴイよかった。日本人でもこんな映画が作れるんだね」と感想を語ったというので、「そんなにスゲェんだったら、観てやろうじゃないか」と思い立った次第。

話は、七夕伝説と『ローマの休日』Roman Holiday(1953年)を足して2で割ったようなトレンディー・ドラマ風ラヴ・ストーリー。主演は、萩原正人と観月ありさ。他には、田中律子、うじきつよしなどが出演。

時代だなぁ。

テーマ曲「7月7日、晴れ」(1996年)をはじめ、「うれしい!たのしい!大好き!」(1989年)、「go for it!」(1993年)、「WINTER SONG」(1994年)など、DREAMS COME TRUE の初期のヒット曲が全編にわたり大々的にフィーチャーされていて、サントラは初期ベスト盤の趣。

時代だなぁ。

クライマックスの部分でラジオが重要な役割を果たす映画でもある。

あらすじ

山部健太(萩原聖人)は、パシフィック自動車の車輛事業部に勤務するサラリーマン。仲間とのキャンプ中、釣りをしている最中に、ひとりの女性と出会う。その女性は、また東京で会おうと言い残し、健太の手に強引に自分の電話番号を書いて去ってゆく。


 

東京に帰った健太は、彼女が世界的に活躍している日本人シンガーの望月ひなた(観月ありさ)であることを知り、連絡を取る。何度か会ううちに引かれ合ってゆくふたり。

ひなたは健太に、自分の誕生日は7月7日なのに天の川を見たことがないと吐露する。健太は一計を案じ、ひなたを誘って再び仲間とキャンプに出かける。ひなたはそこで、初めて天の川を目にして感動する。


 

健太とひなたが東京で会っている時に、通行人に気づかれてしまい大騒ぎになる。健太が勤務する会社の宣伝部長・岸和田(伊武雅刀)は街で偶然その様子を目撃する。営業部から宣伝部に異動したばかりの岸和田は、望月ひなたを新車のCMキャラクターに起用する企画を立てたものの、ひなたサイドから断られていた。


 

ある日、健太は突然、宣伝部に引き抜かれる。その理由は、健太とひなたの関係を知る岸和田部長が、新車の発表会にひなたを誘い出すためだった。営業一筋の岸和田が畑違いの宣伝部長に抜擢された理由は、同期のライヴァルが岸和田の失脚を画策したからだという。何としても宣伝部で実績を挙げて鼻を明かしたいと、岸和田は健太に土下座して懇願する。健太は、岸和田の願いを聞き入れる。

健太はひなたを新車の発表会に誘い出す。発表会のクライマックスで、客席に突然スポットライトが当てられ、ひなたは宣伝に利用されてしまう。


 

この件がひなたサイドの逆鱗に触れる。しかしこれをきっかけに、大人の話し合いを経て、ひなたのCM起用が決まる——ただし、健太とひなたを別れさせるという条件で。ふたりは会えないまま、ひなたが日本を発つ日が近づく。

日本滞在の最後に、ひなたはラジオ番組に出演する。ひなたは、決められた原稿をただ淡々と読み上げてゆく。彼女はこれまでスタッフが決めたイメージ戦略に沿ってアーティスト望月ひなたを演じるだけの人生を送ってきたのだ。

夜景が都会の天の川のようだというくだりで、ひなたは原稿を読むのをやめる。健太と見た天の川を思い出し、台本を閉じ、「違うよ。本当の天の川はこんなんじゃない」と初めて自己主張する。

ひなたが、「お願い、灯を消して。天の川を見せて」とリスナー呼びかけるや、横浜の街の灯がみるみるうちに消えてゆく(驚くべき高聴取率ラジオ番組!)。ひなたは健太を思い、「会いたい」とつぶやく。

 
 

一方その頃、ラジオを聴いた健太はひなたのもとに走っていた。


 『7月7日、晴れ』ラスト・シーン
 

そして、天の川の下、健太とひなたは再会。抱き合うふたり。めでたしめでたし。

劇中のラジオ局

作品に関するトリビア。

クライマックスのラジオのシーンでは、局舎・スタジオが横浜ランドマークタワー内にある設定。したがって、舞台はFMヨコハマかと思ったけれど、架空の放送局のようだ。局舎内に貼られているポスターには「BAY GROOVE FM 89.3MHz」とある。


 

撮影に使われているラジオのスタジオがFMヨコハマのものかどうかは不明。あるシーンで、スタジを出たところに「4802」という部屋番号が映るが、FMヨコハマの局舎はランドマークタワーの10階。エンドロールの「ロケーション協力」にもFMヨコハマの名前はない。


 

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備忘録:第52回ギャラクシー賞(ラジオ関連のみ抜粋)

○備忘録:第52回ギャラクシー賞(ラジオ関連のみ抜粋)

 

第52回ギャラクシー賞が発表された。

ギャラクシー賞とは、放送批評懇談会によって1963年に創設された賞で、日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰している。毎年4月1日から翌年3月31日を審査対象期間し、応募作品・委員会推薦作品の中から年間賞を選出。テレビ・ラジオ・CM・報道活動の四部門がある。

ラジオ界では最も権威ある賞とされている[要出典(笑)]

第52回ギャラクシー賞受賞作品(放送批評懇談会ウェブサイト)

ラジオ部門のみを以下に抜粋。放送日時などに捕捉しつつ、番組サイト等の関連リンクを貼付:

ラジオ部門

●大賞●

YBCラジオスペシャル「花は咲けども~ある農村フォークグループの40年~」(山形放送、2014年5月31日(土)19:00-20:00)


影法師「花は咲けども」
NHKの復興支援ソング「花は咲く」へのアンチテーゼとのこと。
影法師は、山形県長井市を拠点とするアマチュアフォークグループ。

 

●優秀賞●

「風の男 BUZAEMON」(南海放送、2014年5月31日(土)14:00-16:00)
※ウェブサイトで聴取可能。

ネットワーク1・17「20年~大震災と向き合う日々」(毎日放送、2015年1月26日(月)20:00-21:00)

「MUSIC SHOWER Plus+」いちゃりば結スペシャル(琉球放送、2015年2月26日(木)11:00-13:50)

●選奨●

「ダウン症は不幸ですか?新型出生前診断スタートから1年 ダウン症への思い」(朝日放送、2014年5月25日(日)20:00-21:00)

「山ちゃん美香の朝ドキッ!」銀太君が行く 札幌観光幌馬車実況生中継(北海道放送、2014年5月28日(水)9:00-11:00)

ピート・シーガー追悼特別番組「野に咲く花は、少女の胸に」(エフエム東京、2014年5月28日(水)26:00-28:00)

「J-WAVE SELECTION」A CUP OF MEMORIES 大坊珈琲店物語(J-WAVE、2015年2月15日(日)22:00-22:54)

●DJパーソナリティ賞●

横山雄二
「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」「ザ★横山雄二ショー」(中国放送)パーソナリティとして

※当ブログ内の関連エントリー

第51回ギャラクシー賞(ラジオ関連のみ抜粋)

放送批評懇談会50周年記念イベント「ギャラクシー賞が見つめたラジオ、テレビ、CM」(千代田放送会館、2013年6月22日(土)、23日(日)、29日(土)、30日(日))

第50回ギャラクシー賞(ラジオ関連のみ抜粋)

第49回ギャラクシー賞(ラジオ関連)


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福岡の県域ラジオ局「CROSS FM」、売却へ。

○福岡の県域ラジオ局「CROSS FM」、売却へ。

 

福岡の県域FM局 CROSS FM の徳田和嘉子社長が記者会で、「現在株式の売却先を募集中」と発表。

「CROSS FM」売却へ 投資会社「何社か名乗り」(西日本新聞経済電子版、2015年1月22日)

福岡県域のラジオ局を運営する「CROSS FM」の徳田和嘉子社長は22日、北九州市の本社で記者会見し、「現在株式の売却先を募集中で、すでに何社か手を挙げている」と明らかにした。2015年3月期の業績が出た後に募集を締め切り、売却先を決める方針。

(つづきは、西日本新聞経済電子版ウェブサイトで)

1993年9月1日開局

CROSS FM 開局の日、遠距離受信した記憶がある。遠距離受信と言っても、ラジカセのロッドアンテナをめいっぱい伸ばして、窓際であっちに向けたりこっちに向けたりして、雑音まじりの受信。夜になったら受信できなくなるので時間も限られていた。カセットテープにエアチェックしたはずなんだけどなぁ……。

記憶が正しければ(違っていたらご指摘を)、開局初日は、J-POPの有名アーティストが次つぎにゲストDJとして登場し、今思えば、他のJFL加盟局とは異なる雰囲気の独自路線。引き継ぎでアーティスト同士がトークしたり、場合によってはちょっと居残ったりして。自由でにぎやかで、「新しいラジオが始まったなぁ。福岡がうらやましい」と思った。

流浪のFM局

2003年9月1日には、開局20周年を迎えたが、21世紀に入ってからは流浪の放送局。

経営難に陥ったエフエム九州は、2008年11月1日に、東京の投資会社が設立した「株式会社CROSS FM」に事業譲渡、いわゆる「新旧分離」で経営再建の道を模索。

そしてこのたび、株式会社 CROSS FM が2015年1月22日に株式の売却先を募集中であることを発表。

ビジネスとしての「第2の県域民放FM局」

CROSS FM は、九州初の、第2の県域民放FM局でもある。まぁ、それ以降、九州にその例はないのだけれど。

県域民放FM局ふたつあるのは、北海道・東京・大阪・名古屋・福岡の大都市圏と、新潟のみ。大都市圏でも経営状態は芳しくないと聞く。

日本のほとんどの県の民放県域ラジオ局はAM1局・FM1局。そもそもラジオ離れがささやかれている上に、ローカルなマーケットがさらなるラジオ局を支えるのは難しいのかもしれない。

※当ブログ内の関連エントリー

岐阜エフエムが自主再建を断念、新会社に放送事業譲渡へ(2014年3月31日)。

InterFM名古屋局、2014年4月開局・周波数79.5MHz・送信所は東山タワー・試験放送2014年2月頃開始予定:東海総合通信局報道資料(2013年10月25日)


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ついに完結! 柳澤健「1974年のサマークリスマス—— 林美雄とパックインミュージックの時代」:『小説すばる』2014年11月号(集英社)

○ついに完結! 柳澤健「1974年のサマークリスマス—— 林美雄とパックインミュージックの時代」:『小説すばる』2014年11月号(集英社)

 

柳澤健「1974年のサマークリスマス——林美雄とパックインミュージックの時代」が、『小説すばる』2014年11月号(集英社)掲載分で最終回。2013年8月号から連載開始した、元TBSアナウンサー林美雄に関するノンフィクション。

雑誌の連載を愉しみにしたのは久しぶりだった。1974年には未だ生まれていないラジオ聴きにとっての憧れのラジオ黄金時代を、生々しく追体験できた。

小説すばる 2014年11月号 集英社
『小説すばる』2014年11月号(集英社)
 

林はキャリアの後半、アナウンス部と編成部に同時に所属し、プロディーサーとしても活躍。

指導者としては、小林豊、小島慶子、外山恵理ら新人アナウンサーのメンターとなった。会社員でありながら無頼派、それでいて後輩からの人望は厚かった。

「パック・イン・ミュージック」(TBSラジオ)降板後に担当したワイド番組では、夢の遊眠社で売り出し中の野田秀樹をこう口説いた:

林さんは『ひと月八万円渡すから、三十分番組を毎週やってくれ。番組の内容はどうだっていい(笑)。内容には一切口出ししないし、スポンサーもいない。だからかなり自由が利く。乱暴な番組が作れるよ』と。

しかし、ツービートはTBSラジオのオーディションに落ちていた。

皮肉にも、「パック〜」にとどめを刺したのは、「ビートたけしのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)。

みんなの番組からオイラの番組へ。

怪物がめざめる夜は、もう一つの別の広場の終り。

※当ブログ内の関連エントリー

柳澤健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」、『小説すばる』(集英社)2013年8月号〜連載中


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復調?単なるワールドカップ特需?:ラジオ広告費が28か月ぶりにプラスに:「特定サービス産業動態統計調査」(経済産業省、2014年9月9日)

○復調?単なるワールドカップ特需?:ラジオ広告費が28か月ぶりにプラスに:「特定サービス産業動態統計調査」(経済産業省、2014年9月9日)

 

2014年7月のラジオ広告費、28か月ぶりにプラス(+0.7%)

2014年7月期を対象とした「特定サービス産業動態統計調査」(経済産業省、2014年9月9日)によると、「広告業」の分野で、ラジオ広告費が前年同月比+0.7%で、28か月ぶりにプラスに転じた。

特定サービス産業動態統計調査|経済産業省

同調査に関するGarvbageNews.comの記事の解説によると、

  • 2014年7月の日本の広告業全体における売上高は前年同月比+5.4%で増加傾向
  • 新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・インターネット中、「新聞」「雑誌」がマイナス、「テレビ」「ラジオ」がプラス。
  • 「新聞」がマイナス6.6%で最大の下落率。
  • 「ラジオ」は28か月ぶりにプラス(+0.7%)。
  • 「インターネット」はプラスを維持

また、同記事は、ラジオの伸びはFIFAワールドカップ特需ではないかと示唆している。

ラジオが28か月ぶりに前年同月比プラスに(経産省広告売上推移:2014年9月発表分)(最新) - ガベージニュース

「+0.7%」っていくら?

GarvbageNews.comの記事では専ら前年同月比について話題にしている。

それでは、「前年同月比+0.7%」を金額で言うといくらなのか? 実際の金額に注目してみよう。

ここで改めて「特定サービス産業動態統計調査」(経済産業省、2014年9月9日)を参照して、ラジオ広告費の前年同月比を金額で見てみると:

(2014年7月期)-(2013年7月期)= 4683 - 4646

                 =37(単位:100万円) 

ゆえに、

ラジオの広告費の前年同月比+0.7%=3700万円

となる。

一般人の家計から見れば、3700万円は大金だが、広告業界にとってはどうだろうか?

同じ期間で、テレビ広告費の「0.7%」に該る金額は8億7816万4000円、インターネット広告費は2億2499万8000円という計算になり、桁が違う。

やはりワールドカップ特需か?

また、2014年7月期は、4大マスメディアのうちテレビとラジオだけが上昇。いずれも放送メディアだ。ワールドカップ中継による広告費増が原因ではないかと推測される。

従って、ラジオ広告費の上昇は、28か月のあいだ分母が縮小し続けたところに、ワールドカップ中継特需によるまとまった臨時収入でプラスに転じたのではないだろうか。

広告費減少が底を打ったのか、特需なのか、来月以降に引き続き注目だ。

※当ブログ内の関連エントリー

地域別のラジオ広告料金一覧:株式会社シスコム ウェブサイト

オールナイトニッポンのスポンサーが異常に減っているのに気付いた。

ラジオ局売上高ランキング(関東)平成24(2012)会計年度

在京ラジオ局新規採用者数一覧(1987〜2012年度)


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