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放送記念日(3月22日)

○放送記念日(3月22日)

 

3月22日は放送記念日。日本最初の放送電波が送信されたことを記念し、NHKが1943年に制定。

1925(大正14)年3月22日(日)9:30、東京放送局(現在のNHKラジオセンター)が、東京府東京市芝区新芝町(現・東京都港区芝浦)の東京高等工芸学校内の仮送信所から放送した。放送周波数800kHz、出力約220W、コール・サインは現在と同じJOAK。

 


放送記念碑
 

記念プレート
 

第一声は京田武男アナウンサー:

アーアー、聞こえますか。

JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します。

この放送の音源は残っていないと言われている。

素朴な疑問探求会[編]『明治・大正人の朝から晩まで』(河出書房新社 、2008年)によると、放送初日のタイムテーブルはこんな感じ:

  1. 第一声(9:30-)
  2. 天気予報
  3. 海軍軍楽隊の演奏
  4. 記念式典(10:00-)
    後藤新平総裁挨拶
  5. 音楽
  6. ラジオ劇

通常は下記タイムテーブルの様な放送を行っていたようだ:


1925(大正14)年のラジオ番組表
『朝日年鑑』大正15年(朝日新聞社、1926年)
 

送信機には、アメリカ製の電信電話用送信機を放送用に改造したものが使われた。

仮送信所の写真や、そのとき使われた送信機の実物は、NHK放送博物館(東京都港区愛宕)で見ることができる。

NHK放送博物館(公式サイト)

※当ブログ内の関連エントリー:

放送記念碑(東京都港区芝浦3-3-6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)

萩原朔太郎「ラヂオ漫談」(1925年)

「箱から声が聞こえる!ラジオを恐れた大正人たち」、素朴な疑問探求会[編]『明治・大正人の朝から晩まで』(河出書房新社 、2008年)


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世界ラジオ・デー/世界ラジオの日(2月13日)

○世界ラジオ・デー/世界ラジオの日(2月13日)

 

毎年2月13日は、世界ラジオ・デー/世界ラジオの日(World Radio Day)

「ラジオは世界人口の95%が利用している最もユニヴァーサルなメディアである」(radio is the most universal medium, used by 95% of world's population.)ことを祝う日としてユネスコが2011年に制定し、2012年2月13日が最初の世界ラジオ・デーとなった。

国連は、1946年から国連ラジオ(United Nations Radio)を運営しており、現在、6つの国連公用語の英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語・アラビア語に、ベンガル語・スワヒリ語・ポルトガル語を加えた9か国語で放送を行っている。

かつては短波放送で、BBC(イギリス)・CBC(カナダ)・Voice of America(アメリカ)の送信設備などを介して、最盛期には33言語162の国と地域に放送されていた。

戦後〜1985年頃には、日本語放送も行われていた。

短波放送停止後は、カセットテープによる頒布も行われていて、最盛期の1997年には年間205,000本にも及んだ。

現在は、インターネット・ラジオを主たる放送手段としているが、世界各地のラジオ局でも放送されている。

※関連リンク

World Radio Day(世界ラジオ・デー公式サイト、6国連公用語)

UN Radio | UN News(国連公式サイト、英語)

Latest Audio | UN News(国連公式サイト、英語)

Apple Podcats 内のUnited Nations「UN News」(iTunes)


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在京ラジオ局新規採用者数一覧(1987〜2017年度)

◯在京ラジオ局新規採用者数一覧(1987〜2017年度)

 

在京主要ラジオ局の新規採用者数一覧表に2017年度のデータを加えて更新してみました(1987〜2017年度)。

年度
TBS
文化
ニッ
ポン
日本
Inter
TFM
J-WA
NIKK
2017
0
0
2
0
1
4
2
0
2016
0
0
10
0
4
4
0
0
2015
0
0
5
0
4
9
4
0
2014
0
0
3
3*
0
9
0
0
2013
0
3
4
0
0
6
0
1
2012
2
2
1
0
14
0
2
0
2011
2
2
2
1
0
2
0
0
2010
3
0
0
0
0
0
0
2
2009
2
3
3
0
5
0
0
0
2008
3
3
5
1
3
5
0
1
2007
5
3
5
2
0
5
0
2
2006
2
4
2
3
0
6
0
2
2005
5
2
4
0
3
4
0
0
2004
6
1
5
0
4
5
0
0
2003
7
2
8
0
0
4
0
0
2002
7
2
7
2
0
17
0
0
2001
6
0
10
3
0
13
0
4
2000
(27)
0
6
3
0
13
0
4
1999
(21)
5
10
4
0
10
2
0
1998
(35)
5
10
2
0
8
2
4
1997
(33)
7
24
4
8
8
3
2
1996
(40)
4
12
2
-
5
2
4
1995
(39)
4
12
2
-
5
2
4
1994
(42)
4
15
0
-
6
0
3
1993
(38)
4
8
0
-
0
0
3
1992
(42)
8
11
0
-
0
0
4
1991
(49)
10
15
0
-
8
0
5
1990
(60)
13
12
0
-
9
4
6
1989
(59)
5
10
0
-
9
3
5
1988
(58)
10
10
0
-
6
7
5
1987
(46)
9
12
0
-
6
-
11

※2014年度のラジオ日本の採用3名は契約社員。

参考

  • 1989年12月29日:日経平均株価最高値(最高値38,957.44円/終値38,915.87円)
  • 1987年10月19日:株価大暴落(ブラック・マンデー)
  • 1990年10月1日:日経平均株価最高値一時2万円割れ。バブル経済崩壊へ。
  • 1991年3月〜2002年1月:失われた10年 
  • 2004年:ネット広告費がラジオ広告費を初めて上回る。
  • 2008年9月15日:リーマン・ショック
  • 2009年:有効求人倍率最低(0.45倍)
  • 2011年3月11日:東日本大震災

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ラジオ局売上高ランキング(関東)平成28(2016)会計年度

「ニッポン放送 批判」で検索してこのブログを見ている人がここ数日やたら多い件について


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ラジオ局売上高ランキング(関東)平成29(2017)会計年度

◯ラジオ局売上高ランキング(関東)平成29(2017)会計年度

※エフエム富士の数値を訂正しました。(2019年1月6日)

 

関東のラジオ局を売上高の順に並べてみました。矢野研の『マーケットシェア事典』より詳しいと思います。

今回から、参考に関西圏と中京圏準キー局のデータも加えてみました(ただし、ラジオ事業が分社化している局のみ)。

関東ラジオ局売上高ランキング
平成27会計年度(2017.4.1-2018.3.31)
単位:千円
放送局 売上高 税引前当期利益 当期純利益
ニッポン放送 14,400,482 132,884 71,284
エフエム東京 13,239,530 890,339 548,432
TBSラジオ 10,478,154 528,632 342,932
文化放送 7,061,599 ▲209,338 ▲208,191
J-WAVE 4,933,295 363,803 275,391
FM NACK5 3,026,763 378,828 233,926
横浜エフエム 2,377,748 142,676 105,125
ベイエフエム 2,149,180 ▲16,350 ▲18,378
アールエフラジオ日本 1,681,302 70,460 69,445
日経ラジオ社 1,604,118 ▲31,444 ▲1,858
エフエム群馬 885,255 23,943 12,118
エフエム栃木 810,882 7,413 4,640
エフエムインターウェーブ   750,822 ▲40,080 ▲35,960
茨城放送 664,894 55,064 40,427
エフエム富士 647,026 21,828 13,799
栃木放送 498,817 ▲22,154 ▲166,802
※参考
関西圏
FM802 3,980,899 106,304 81,347
エフエム大阪 2,898,887 40,121 37,961
大阪放送 1,768,130 10,602 15,858
兵庫エフエム 568,746 34,330 22,953
朝日放送ラジオ - - -
中京圏
CBCラジオ
2,785,159 43,520 18,049
東海ラジオ
2,407,169 ▲1,220,459 ▲1,427,176
ZIP-FM 2,175,386 255,467 174,608
エフエム愛知
1,452,976 46,464 28,680
Radio NEO 303,639 ▲71,684 ▲71,769
※参考
日本テレビ放送網 312,211, * * * 40,835, * * * 26,960, * * *
フジテレビジョン 206,677, * * * 4,266, * * * 2,647, * * *
テレビ朝日 239,627, * * * 17,123, * * * 13,392, * * *
TBSテレビ 217,152 * * * 10,041, * * * 6,960, * * *
テレビ東京 114,593, * * * 10,272, * * * 7,332, * * *
東京メトロポリタンテレビジョン   18,156,* * * 1,392, * * * 967, * * *
サンテレビジョン 5,788,911 313,696 199,921

 

日本民間放送連盟[編]『日本民間放送年鑑2018』(コーケン出版、2018年)掲載の各局損益計算書をもとに作成しました。

※関東外ですが、手元のチューナーで東京の地域設定でプリセットされているFM-FUJIも追加しています。

※1000の位以下は四捨五入、10万円台以下の不明な数字は「*」で置き換えています。

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ラジオ局売上高ランキング(関東)平成28(2016)会計年度

ラジオ局売上高ランキング(関東)平成27(2015)会計年度

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ディスク・ジョッキーの日(12月28日)

○ディスク・ジョッキーの日(12月28日)

 

12月28日は、ディスクジョッキーの日。

元ニッポン放送アナウンサーで、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)の初代パーソナリティー陣のひとりでもある糸居五郎(1921年1月17日-1984年12月28日)の命日に由来。

ラジオ・プロデューサーの「ドン上野」こと上野修(?-2002年6月30日)の提唱により、この日がディスクジョッキーの日と定められたとのこと。


「糸居五郎のオールナイトニッポン」最終回エンディング
(ニッポン放送、1981年6月30日(月)27:00-29:00)
※司会はくり万太郎
 

「ミュージック・スペシャル in DAC」
(FM東京、1976年11月?日)
※DAC——今はなき第一家電のことなんですねぇ。FM東京でも番組を担当していたとは知りませんでした。
 

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第1回大本営発表(真珠湾攻撃・太平洋戦争開戦)(NHKラジオ、1941年12月8日(月)7:00-)

○「第1回大本営発表(真珠湾攻撃・太平洋戦争開戦)」(NHKラジオ、1941年12月8日(月)7:00-)

 

下に紹介する音源は、真珠湾攻撃と英米との開戦を伝える大本営発表。1941年12月8日(月)7:00からNHKラジオで放送された。これが第1回目の大本営発表となる。

日本の戦争は、真冬に始まり、真夏に終った。

当時のNHKは既に第1放送と第2放送に分かれていた。もちろん、テレビはまだない。第2放送は1941年12月から戦争の影響で放送休止。正確な休止日が判らないので、大本営発表が第1放送のみだったのか、サイマル放送だったのかは不明。植民地で短波放送で聴いた人たちもいたかもしれない。ご存知のかた、是非ご教示ください。


 

臨時ニュースヲ申シ上ゲマス。臨時ニュースヲ申シ上ゲマス。

大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。

帝国陸海軍ハ今八日未明、西太平洋ニ於ヒテ、アメリカ、イギリス軍ト戦闘状態ニ入レリ。

帝国陸海軍ハ今八日未明、西太平洋ニ於ヒテ、アメリカ、イギリス軍ト戦闘状態ニ入レリ。

放送されたのは月曜日の早朝で、

真珠湾攻撃の第一報である。この日は月曜日だった。第1次攻撃隊の攻撃発起は8日午前3時25分。ハワイ時間の7日(日曜日)午前7時55分だった。休日・安息日の朝だからこそ、奇襲になる。[……]「12月8日」という形で日本時間で理解していると、「日曜日の奇襲」の仕掛けがわからない。

米英軍「と」から「ともに」へ 2003年12月8日
(「平和憲法のメッセージ 早稲田大学・水島朝穂のホームページ」内)

上に引用した大本営の音源には、続けて同日午後一時発表の音源が収められている:

臨時ニュースヲ申シ上ゲマス。臨時ニュースヲ申シ上ゲマス。

帝国海軍ハ、ハワイ方面ノアメリカ艦隊並ビニ航空兵力ニ対シ決死ノ大空襲ヲ敢行シ、シンガポール其ノ他ヲモ大爆撃シマシタ。

大本営海軍部今日午後一時発表。

一、帝国海軍ハ本八日未明、ハワイ方面ノアメリカ艦隊並ビニ航空兵力ニ対シ、決死ノ大空襲ヲ敢行セリ。

二、帝国海軍ハ本八日未明、上海ニ於ヒテイギリス砲艦ペトレル号ヲ撃沈セリ。アメリカ砲艦ウエーキ号ハ同時刻我ニ降伏セリ。

三、帝国海軍ハ本八日未明、シンガポールヲ爆撃シテ大ナル戦果ヲ収メタリ。

四、帝国海軍ハ本八日早朝、ダバオ、ウエーク、グアムノ敵軍事施設ヲ爆撃セリ。

アナウンスの読み上げの前にチャイムが流れる。これは緊急放送時に用いられるもので、内容の重要度によって3段階あるとのこと。上掲音源のチャイムは最も重要度の高い放送の時に用いられるものだとか。


NHKの緊急放送チャイム3段階
 

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玉音放送(NHKラジオ第1、1945年8月15日(水)12:00-)


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世界初のラジオ局開局の日(1920年11月2日)

○世界初のラジオ局開局の日(1920年11月2日)

 

1920年11月2日は、世界初のラジオ局開局の日。

アメリカのラジオ局・KDKA がペンシルヴェイニア州イースト・ピッツバーグ(East Pittsburgh, Pennsylvania)から世界最初のラジオ放送を行った日。

This is KDKA of the Westinghouse Electric and Manufacturing Company in East Pittsburgh, Pennsylvania.

We shall now broadcast the election returns.  We are receiving these returns through the co-operation and by special arrangements with the Pittsburgh Post and Sun.  The election returns will be broadcast as soon as they are received by us here at KDKA.

We'd appreciate it if anyone hearing this broadcast would communicate with us, as we are very anxious to know how far the broadcast is reaching and how it is being received.

(こちらは、KDKA。ペンシルヴェイニア州イースト・ピッツバーグ、ウェスティングハウス電機製作所の放送局です。

これから選挙結果をお送り致します。選挙結果は、『ピッツバーグ・ポスト・アンド・サン』紙の協賛とご厚意により入手予定です。選挙結果がこちらKDKAに届き次第、放送致します。

この放送の到達範囲と受信状況が是非知りたいので、この放送をお聴きの方はご連絡くだされば幸いです。)

KDKA, November 2, 1920
 

'Conrad's Garage'
"All Things Considered" (NPR, Oct 28, 2002)

KDKAの放送音源は8:10ごろから。
 

KDKAの前身は、ウェスティングハウス電機製作所(Westinghouse Electric and Manufacturing Company)のエンジニアであったフランク・コンラッド(Frank Conrad)がペンシルヴェイニア州ウィルキンスバーグ(Wilkinsburg)の自宅ガレージでおこなっていた実験放送。

その後、ウェスティングハウス社の申請によりコール・サインが付与され、世界初のラジオ局KDKAが誕生。したがって同局は、世界初の民間放送局でもある。

最初の放送は1920年11月2日18:00に同社屋上のシャックから行われ、放送内容は大統領選挙速報だった(ハーディング vs コックス)。キャスターは同社社員レオ・ローゼンバーグ(Leo Rosenberg)が務めた。

エンジニアのコンラッドは、放送事故に備え、予備の送信機を準備して自宅待機。世界初放送の瞬間に立ち会うことができなかった。

ちなみに、日本初のラジオ放送は、1925(大正14)年3月22日9:30、東京放送局仮放送所(東京高等工芸学校内:東京市芝区新芝町(現・東京都港区芝浦3丁目))から行われた。これが後のNHK東京放送局。

※関連リンク

Frank Conrad(アメリカ国立放送博物館ウェブサイト、英語)
フランク・コンラッド自宅のアンテナとシャックの写真も掲載。

Dr. Frank Conrad, Radio Pioneer, Dies(ニュー・ヨーク・タイムズ紙ウェブサイト、英語)
※フランク・コンラッドの死亡記事

Pennsylvania, Pennsylvania Association of Broadcasters Leo Rosenberg(英語)
※キャスターを務めたレオ・ローゼンバーグについて。

NewsRadio 1020 KDKA « CBS Pittsburgh(KDKA公式サイト、英語)
※KDKAは現存します。

※当ブログ内の関連エントリー:

放送記念碑(東京都港区芝浦3-3-6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)

萩原朔太郎「ラヂオ漫談」(1925年)

放送記念日(3月22日)

もうひとつの放送記念碑:放送記念碑(東京都千代田区内幸町2丁目2)


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玉音放送(NHKラジオ、1945年8月15日(水)12:00-)

○「玉音放送」(NHKラジオ、1945年8月15日(水)12:00-)

 

※頂いた情報により玉音放送の書き起こし部分の不明箇所を改訂、および末尾に若干の加筆(2010年1月11日)

ポツダム宣言受諾を宣布する「終戦ノ詔書」が天皇裕仁により朗読され、アセテート盤に録音。これが、1945(昭和20)年8月15日(水)正午、ラジオを通じて放送され、大日本帝国臣民に日本の敗戦・無条件降伏が伝えられた。これがいわゆる「玉音放送」である。

和田信賢アナウンサー 全国ノ聴取者ノ皆様、御起立願ヒマス。

下村宏情報局総裁 天皇陛下ニ於カセラレマシテハ、全国民ニ対シ畏クモ御自ラ大詔ヲ宣ラセ賜ウ事ニナリマシタ。此ヨリ謹ミテ玉音ヲ御送リ申シマス。

(君が代演奏)

天皇裕仁 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存 ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精 朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所 真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ 遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ 乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ

(君が代演奏)

下村総裁 謹ンデ天皇陛下ノ玉音放送ヲ終リマス。

和田アナウンサー 畏クモ天皇陛下ニ於カセラレマシテハ、万世ノ為ニ泰平ヲ開カント思シ召サレ、昨日政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シテ、ポツダム宣言ヲ受諾スル旨通告セシメラレマシタ。

畏クモ天皇陛下ニ於カセラレマシテハ、同時ニ詔書ヲ渙発アラセラレ、帝国ガ四カ国の共同宣言ヲ受諾スルノ止ム無シニ至ツタ所以ヲ御宣シアラセラレ、今日正午畏キ大御意ヨリ詔書ヲ御放送アラセラレマシタ。

コノ御堂ノ御事ハ拝察スルダニ畏キ極ミデアリ、一億等シク感泣致シマシタ。

我々臣民ハ只々詔書ノ御旨ヲ必謹誓ツテ国体ノ護持ト民族ノ名誉保持ノ為滅私ノ奉公ヲ誓ヒ奉ル次第デ御座ヒマス。

最後のアナウンスで一箇所聴き取れないところがありました([……]の部分)。また、聞き誤った箇所も散見されると思いますので、お気づきのかたはご教示ください。

め さんから頂いたコメントにより、該当箇所(上掲載書き起こし下線部)は「必謹誓ツテ」と判明致しました。「承詔必謹」 の 「必謹」とのことで、意味から判断しても間違いないと思います。貴重なご教示、誠にありがとうございます。

玉音放送録音・放送の経緯については、『朝日新聞』夕刊で 2008年12月1日(月)〜12月26日(金)にかけて連載された「ラジオの時代」第2部で数回取り上げられ、概説されている(この連載、本にならないのかなぁ)。

「ラジオの時代」 第2部 あのとき あの場で、『朝日新聞』夕刊(2008年12月1日(月)〜12月26日(金))総目次(当ブログ内)

ちなみに、録音に使用されたのは、DENON DP-17-K 可搬型録音再生機(日本電気音響株式会社:現DENON)

東京・西新宿の平和祈念展示資料館には、「終戦ノ詔書」のレプリカが展示されていた。入場無料。誰がどういう意図で行っている展示なのかに気をつけて観覧する必要があるものの、展示物そのものには見る価値があると思う。

平和祈念展示資料館

平和祈念展示資料館(東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル48階)(当ブログ内)

※加筆
NHK放送博物館には、玉音放送の原盤(玉音盤)のレプリカと、天皇裕仁自身が玉音放送を聴いたラジオ受信機(RCA の 真空管ラジオ Radiola の卓上モデル)が展示されている。

NHK放送博物館
※こっちも、入場無料

※当ブログ内の関連エントリー:

第1回大本営発表(真珠湾攻撃・太平洋戦争開戦)(NHKラジオ、1941年12月8日(月)6:00-)


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民放の日(4月21日)

○民放の日(4月21日)

 

4月21日は「民放の日」。

日本民間放送連盟:4月21日は民放の日

1951年4月21日に民放ラジオ16社に初の予備免許が与えられたことを記念し、日本民間放送連盟(=民放連)が制定した記念日。

この記念日は、1968年に「放送広告の日」として制定され、1993年に「民放の日」へと改称された。

ちなみに、1951年9月1日の6:30に中部日本放送(CBCラジオ)が、12:00に新日本放送(現在の毎日放送 MBSラジオ)が日本初の民放ラジオ局として本放送を開始。

これを記念して制定されたのが「民放ラジオ放送開始記念日」(9月1日)。

※当ブログ内の関連エントリー

民放ラジオ放送開始記念日(9月1日)

世界初のラジオ局開局の日(1920年11月2日)

放送記念碑(東京都港区芝浦3-3-6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)


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蝮さんは東京の移動祝祭日だ:「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」(TBSラジオ)が週1回放送になることについて。

○蝮さんは東京の移動祝祭日だ:「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」(TBSラジオ)が週1回放送になることについて。

 

「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」(TBSラジオ)が、これまでの月〜木曜日の放送から、金曜日のみの週1回の放送になる。

1969年10月6日に放送開始し、「こんちワ近石真介です」に内包され、そのまま「大沢悠里のゆうゆうワイド」内で番組は継続した。順当に行けば「伊集院光とらじおと」(月〜木8:30-11:00)内で放送が続くかと思われたが、「ジェーン・スー 生活は踊る」(月〜金11:00-13:00)内へ移動した。伊集院光が断ったと言っていた記憶がある。

個人的には、これは正解だったと思う。伊集院×蝮さんの掛け合いは面白いに決まっているが、語弊を恐れず言えば、ある程度は想像がついてしまうところもある。その点、ジェーン・スー×蝮さんの掛け合いは未知数であったが、そこが良かった。ラジオっ聴きとしては、どうせなら聞いたことのないものを聴いてみたいし、変化の中にこそラジオの活路があるはずだ。

ちなみに、「毒蝮三太夫」「毒蝮」などと記述したほうが、書き手の中立性を目に見える形で示すことができるかもしれないが、以下、敬意と親愛の情を込めて「蝮さん」で通す。

すぐれて「東京的」な番組

radiko.jp のエリアフリーが始まったとき、関東以外のラジオリスナーに私がいちばん聴いてほしいと思った番組が「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」だった。

その理由は、この番組はすぐれて「東京的」な番組だからだ。

「東京的」な番組と聞いて、どんな番組を思い浮かべるだろうか? 全国区で旬の有名タレントが出演する番組? オシャレな番組? あるいは、最新の情報をフィーチャーした番組だろうか?

この番組は、そういう番組とはちょっと違う。

この番組の「東京らしさ」とは、リスナーは、地方としての東京を感じることができ、東京の普通のリスナーの日常を垣間みることができる番組という意味である。

地方としての東京

この番組では、蝮さんは東京都内またはその近県へ赴き、中継会場に集まる町の人たちの話を聞く。

そこには、東京に憧れて上京してきた私のような田舎者が期待していたスタイリッシュなアーバン・ライフとは明らかに異なる東京がある。空想上の大都会ではなく、地に足の付いた実在の人々が暮らす生活の場としての東京である。

中継会場に集まってくる人たちも、地方出身者が時に敵視しながら仮構していた気取った「東京人」はひとりもいない。

番組内で開陳される日常生活の場としてのリアルな東京は、「地方としての東京」とも言えるかもしれない。

リスナーの日常

もちろん、蝮さんが町にやって来ることは「日常」というよりは「ハレ」の瞬間ではあり、むしろお祭りですらあるが、スーパーやドラッグストアーや銭湯や福祉施設のような日常生活の場の雰囲気がラジオを通じて共有される。

放送に登場する町の人たちは、気取った言葉は使わないが、日々の暮らしの中で心に蓄積された感情を蝮さんに聞いてもらいたがっている。

放送内容は似たものにはなりがちだが、蝮さんが毎日ちがう町を訪れることで、日常生活の継続性と東京の空間的な広がりが、ラジオを通じて共有され、番組を聴いている自分もラジオの中の人たちの一部であることが自覚される。

その意味では、連日放送していることの意味は大きかったと思う。

蝮さんは東京の移動祝祭日だ

とはいえ、蝮さんも82歳のご高齢だ。腸閉塞による入院で2006年1月9日(月)から2月17日(金)まで休んだ以外は、1969年10月6日(月)からロケの帯番組を続けてきた。このことのほうが奇跡と言える。

これからは週1回の放送になる。

番組は金曜「たまむすび」(TBSラジオ、13:00-15:30)内に移動し、蝮さん×玉袋筋太郎×外山恵理アナウンサーの江戸っ子3人による放送に変わる。よってこれからは「ハレ」の瞬間が際立ち、週1回開催される東京の動くお祭りとして番組は続く。それはそれで愉しみだ。

もし君が幸運にも「ミュージックプレゼント」を一度でも聴いたことがあるのなら、週1の放送になっても、他の日に何を聴いていようと、蝮さんは君についてくる。なぜなら蝮さんは東京の移動祝祭日だからだ。

「よせよ!」

ミュージックプレゼント(公式サイト)


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