菅直人の脱原発フランス訪問に関する仏『ル・パリジャン』紙の記事を訳してみました。
◯菅直人の脱原発フランス訪問に関する仏『ル・パリジャン』紙の記事を訳してみました。
菅直人衆議院議員の脱原発フランス訪問に関する『ル・パリジャン』紙の記事を訳してみました。2018年3月11日の記事です。
自信のないところもあるので、誤訳がありましたら、忌憚なくご教示下さい。。
福島:菅直人、原子力に関する自責の念 フランス行脚にて
エミリー・トルジュマン 2018年3月11日
7年前、福島における原発の大惨事のとき、菅直人は日本の総理大臣だった。それ以来、彼の人生と信念は大きく変わった。彼は今週の月曜日、メッセージを伝えるためにフランスを訪れる。
「もし全てが悪い方向に進めば、原発事故は、最悪の戦争の惨禍よりもはるかに悲惨な結果をもたらします」と菅直人は冷静沈着な声で述べる。この一文には経験の重みがある。というのも、この言葉の主は、福島の原発の大惨事のとき指揮を執っていたからだ。その人物は日本の元総理大臣だ。
現在、衆議院議員(立憲民主党)の菅直人は、2011年以来の反原発運動のロックスターのように、脱原発ネットワーク(Réseau sortir du nucléaire)とエコー・エシャンジュ(Écho échange)の招きを受けて今週月曜日にフランス行脚を開始する(下記参照)。そして、すべてのスターと同様に、彼にインタヴューするのは一筋縄ではいかず、優秀かつ熱心な助手たちと交渉しなければならず、彼らは新聞の影響力を綿密に考慮してから電話インタヴューの権利を承諾する。
しかし、電話の向こうの、反原発に改宗した72歳の男は、温和であると同時に勿体ぶった言葉を使うこともない。彼は先だってのフランス訪問を思い出す。それは2年前で、彼は福島の悲惨な経験を共有するために既にフランスを訪れていた。「私は、フランス、アメリカ、イギリス、デンマーク、韓国、台湾、ポーランドでお話しさせて頂きました」と彼は列挙する。彼は政権を離れて以来、行脚の旅を続け、会見や集会を重ねている。「どこへ行っても同じメッセージをお伝えしています。原子力から脱却しなければならない!」
「日本の原発に自信を持っていた自分に嫌気がさしている」
2011年3月11日に——今週の日曜日で7年になるが——海底大地震は、福島第一原発の6機中3機の相次ぐメルトダウンにつながる津波を引き起こした。
チェルノブイリとともに史上最悪の原子力事故(国際的な評価尺度INESの最高レべル)に格付けされた福島は、今後何世代にも余波を及ぼすだろう。菅直人は、今でも3月11日から15日のあいだに経過した1分1秒を思い出す。その間は最悪の事態は避けることができたと言えるだろう。彼は、ある本*でそれらについて振り返っている。
しかし、彼が生まれ変わったのは、厳密には、辛くも大惨事を免れた後で、「私は180度変わりました。正直言って、日本の原発に自信を持っていた自分に嫌気がさしています」と彼は語る。すべてが変わったのは、彼の要請に応じて、原子力安全委員会委員長があの事故は原発から半径200kmの避難につながる恐れがあったことをシミュレーションによって明らかにしたときだった。そこには東京の人口密集地域も含まれる。「つまり5000万人の住民、日本の全人口の40%にあたります。30年から50年経つまでは家に帰ることができなくなる恐れのある住民のことです」と彼は主張する。行政機関の完全崩壊と日本国の終焉を伴う事態だ。
物理学者の専門家
「菅直人は、権力の座に就いたときは、政権交代を象徴していた。取り替え可能なテクノクラートとはほど遠かった」と翻訳家で日本の左翼に詳しいカトリーヌ・カドゥーは語る。68年世代で市民社会派の彼は、あるフェミニストの助手としてキャリアをスタートさせた。しかし、彼はかつては、いわゆる「特には考えない」原発推進派だった。「すべての日本人と同様に、私もわが国の高水準の技術に自信を持っていました」と彼は振り返って分析する。もちろん、物理学の専門家である彼は、1986年のチェルノブイリについても知っていたが、それは、砂上の楼閣となった大国・ソ連でのことだった。
ベテラン政治家である菅直人が、国政選挙の下心を満足させるために世界水準の反原発拡声器になったのではないかと疑う人もいるかもしれない。そんなことはどうでも良い。彼は福島の経験からの真摯に影響を受けているようだ。2011年夏、彼は1年2ヶ月権力の座に就いて、日本の原子炉54基を停止し、代替エネルギーへの投資を奨励する法案を成立させた後にはじめて退陣を受け入れた。
フランスのための指南
国のエネルギーの75%が原発でつくられ、世界で最も原子力化した国であるフランスに到着する前日、世界の果てからやってきた伝道師は、フランス政府が「原子力への依存を減らすだけでなく、再生可能エネルギーの開発を行う」ことができると信じたいと思っていた。「とりわけ福島以降に基準が強化されたため、原子力でつくられた電力のコストは競争において優位ではないからこそなおさらです」と彼は主張する。その瞬間、活動家は政治的戦略家へと変わる。
トラウマを受けた国だというのに原発が再稼働するという事実を思い起こすとき、彼が好んで言及するのは、7年間で再稼働したのが4基であるのに対して、安倍晋三首相は1年に7基の再稼働を公約にしているということだ。「デモや、時に消極的な抵抗になることもある地元の人々や、原子力業界に反対する団体に触発された幾多の行動のおかげで、アンゲラ・メルケルは、自身の意見で推進した原子力から脱却した」と、ドイツの例を引きながらこの活動家は指摘する。
フランスに関しては、エコロジー大臣が公約にかかげるように、原発でつくられる電力を70%から50%に減らすことですでに「第一歩」を踏み出しているのかもしれない。例えば、フランスは歴史上最大の大破局のひとつを自国内で経験していたかもしれないし、歴史的な大惨事を辛くも免れることができたのかもしれないし、今後も楽観的なままかもしれない。
*My Nuclear Nightmare, Cornell University Press(未仏訳)。
(訳註:『東電福島原発事故—— 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎新書、2012)の英語版。)
菅直人のフランス行脚
菅直人は、今秋の月曜日にパリで行われる映画『太陽の蓋』の上映会に参加する予定である。彼のキャラクターが劇中に登場し、福島が経験した5日間をたどるフィクションである。彼は明日、3月18日まで脱原発に関する国民投票を組織するグループ「服従しないフランス」(France insoumise)の招きで国民議会に出席する。
彼はその後、フランスの原子力関連施設、とりわけフラマンヴィル原子力発電所(マンシュ)を訪れ、続いて、ラ・アーグ再処理工場へ向かう。
映画『太陽の蓋』予告編
※当ブログ内の関連エントリー:
◯ル・モンド紙、震災と原子力ロビーに関する記事を翻訳してみました:「福島、罪深き沈黙」 "Fukushima, silences coupables", Le Monde, 26 Mars 2011
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