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『ル・モンド』紙の『この世界の片隅に』評を訳してみました。

◯『ル・モンド』紙の『この世界の片隅に』評を訳してみました。

※ご指摘頂いた誤訳、見直して発見した誤訳をいくつか修正しました(2017年9月8日)。

 

『ル・モンド』紙の『この世界の片隅に』評を訳してみました。

元記事:Mathieu Macheret, <<« Dans un recoin de ce monde » : les rêveries d’une ménagère dans un Japon en guerre>>, Le Monde.fr, 06.09.2017.

誤訳がありましたら、忌憚なくご教示下さい。なお、タイトルや小見出しは、原題を尊重しつつ、タイトル風に意訳しています。

* * *

『この世界の片隅に』:戦時下日本の主婦の白昼夢

小さな物語と大きな歴史を混ぜ合わせる片渕須直のアニメ映画

マチュー・マシュレ

『ル・モンド』からのアドバイス——見逃してはならない

日本のアニメーションの大きな力のひとつは、そのリアリズム的なアプローチであり、それは空想を描写する場合にもおよぶ。その点で、アヌシー国際アニメーション映画祭の審査員賞受賞作である『この世界の片隅に』という長編映画が最も際立っているのは、1930年代から原子爆弾投下後の1945年の降伏までという、日本史の運命の13年間を、ひとりの控えめな女性という存在、ひとりのぼんやりとした若い妻を通して振り返る強烈な野心においてである。

漫画家・こうの史代の漫画を原作とするこの映画は、57歳の控えめなアニメーターであり、例えば宮崎駿や大友克洋の演出補を務めた、片渕須直の最新監督作である。彼はいくつかの知られざる作品を手がけており、そのなかには、おとぎ話の世界をフェミニスト的に再解釈した、難解な『アリーテ姫』(2001)(フランスでは、今はなきヌーヴェル・イマージュ・デュ・ジャポンで公開された)や、戦後の日本の幼い少女の千年におよぶファンタジーを描いた『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)がある。

困難な制作と長い期間を要する、時には徒労すれすれの知的な要求ゆえに、片渕の映画は制作費の節約が求められる。『この世界の片隅に』も例外でなく、クラウド・ファンディングに頼らざるを得なかった。

細心の注意を払った再現

物語は、伝記的な年代記の長い過程を通して、テンポよく、夢見がちな若い娘・すずが大人になるまでの経過の時を刻んでゆく。彼女は、広島の近くの村で海苔漁師の家族とともに倹約と労働の日々を送り、絵を描くことへの情熱を培う。

お見合い結婚によって、彼女は、軍港・呉で新しい家庭をつくるために家族と離れることになる。すずは、不器用でぼんやりしているものの、新しい生活や、見知らぬ夫(軍の法務事務官)や、必ずしも助けになるとは言えない義理の父母や、課された家事に適応するために全力を尽くす。労働と日々が過ぎてゆき、戦争の帰結(戦時統制、空襲、死傷者)がどこよりも色濃くなってゆくこの戦略都市に、日常と混乱が積み重なってゆく。

この映画は、集団的運命と家族の危機をさりげなく結びつけている。

この映画は、最もありふれた行動や家事や感情を初めとする小さな物語と、大きな歴史とを結びつける驚くべき力を持っている。そのために、片渕は、細心の注意を払った再現作業の準備を行い、時代設定(広島の街並み、家庭内のインテリア、周囲の自然)だけでなく、とりわけ日常の感情や話題にもに注意を払う。例えば、配給が制限されるなか、すずがふんだんな創造性を駆使して義理の家族に料理を作り続ける名シーンでは、事細かに材料や調理の手順を説明する演出がなされている。このように、戦況が、集団的運命と家族の危機をさりげなく結びつけながら、寓話として具体化される。

甘くて苦いトーン

丹念に、そして甘くて苦いトーンで、戦時下のひとりの若い主婦のおかれた状況を追いながら、片渕は、女性に課せられた犠牲・制約・義務を注意深く吟味しつつ(すずは自分が選んだわけではない男性を愛するようになる)、歴史を遡ってフェミニスト的な感受性を掘り下げる。それにもかかわらず、シンプルだが立体的な人物描写は、終始子どもっぽい性質を保ちつつ、歴史ドラマの型にはまった重々しさを回避している。

すずは、時には現実を夢ような色彩で描くおっちょこちょいな少女として、ユーモアたっぷりに描かれる。時代の恐怖からの逃避と見るべきではなく、戦争の物語を世界に対する美意識——画家であるすずの美意識——に置き換え、最悪の惨禍を乗り越えることを可能にする方法と見るべきである。

それ以外の部分では、この映画は暴力を包み隠したりせず、港町を襲う爆撃が間髪を入れず繰り返されることで、暴力の度合いは増してゆく。恐怖が爆発する瞬間に、片渕は、抽象的な物を具象的なスタイルに一時的に置き換え、ある一節では表象不可能な物を表現することを可能にしている。このように、『この世界の片隅に』は、大仰な見せ物になることを絶対に拒否している点で異彩を放っており、日常生活の忍耐の中に世界に対する揺るぎない愛の秘密を見いだしている。

※当ブログ内の関連エントリー:

ロサンゼルス・タイムズ紙のケネス・トゥーランによる『この世界の片隅に』評を訳してみた。

『ELLE』誌フランス版の『この世界の片隅に』のレヴューを訳してみました。

『リベラシオン』紙の『この世界の片隅に』評を訳してみました。

『リベラシオン』紙の『この世界の片隅に』片渕須直監督のインタビューを訳してみました。

『ル・フィガロ』紙の『この世界の片隅に』片渕須直監督のインタビューを訳してみました。

 


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コメント

海外の評価は自動翻訳でもちょっと読みづらいので
この翻訳に感謝します。

投稿: | 2017年9月 8日 (金) 01時03分

翻訳していただき、ありがとうございました。
私もこの作品が大好きなので、読んでいて嬉しくなりました。

ひとつだけ
☓大友克弘
○大友克洋
ではないでしょうか? 

投稿: | 2017年9月 8日 (金) 01時35分

すずは、時には現実を夢ような色彩で描く

夢のような、でしょうか?

投稿: . | 2017年9月 8日 (金) 13時36分

MasaruSさん
「この世界の片隅に」の海外の論評の日本語訳は本当に貴重ですね・・・。
自分の親父は、昭和20年代すずさんの暮らした呉におりました。当時の呉海軍工廠と云う工場で働いておりました。
当時の皆様の体験談を自費出版本(非売品)ですが、一冊の本に纏めております。自費出版本ですが、都内は、北区図書館をはじめ15の区立図書館に・・・全国では、北見市から鹿児島市まで登録された本です。題名は、「ポツダム少尉 68年ぶりのご挨拶 呉の奇蹟 第4版」と云います。カラー200Pの読み易い本です。
是非、お時間あるときに、北区図書館でご覧ください。^^

投稿: フランツ | 2018年11月21日 (水) 13時03分

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