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ロサンゼルス・タイムズ紙のケネス・トゥーランによる『この世界の片隅に』評を訳してみた。

◯ロサンゼルス・タイムズ紙のケネス・トゥーランによる『この世界の片隅に』評を訳してみた。

 

ロサンゼルス・タイムズ紙のケネス・トゥーランによる『この世界の片隅に』評を訳してみました。

元記事:Kenneth Turan, "A well-ordered world is upended in the exquisite 'In This Corner of the World'", Los Angeles Times, August 10, 2017

誤訳がありましたら、忌憚なくご教示下さい。なお、タイトルは、原題を尊重しつつタイトル風に意訳しています。

* * *

映画評 『この世界の片隅に』。秩序ある世界が一変する様子を描く秀逸な作品

ケネス・トゥーラン

『この世界の片隅に』は、その言葉の響きどおり心地よい作品だ。その心地よさが終わるまでは。

アヌシー国際アニメーション映画祭の受賞作であるこの日本の長編映画は、地味な傑作であり、片渕須直による脚本・監督の、驚くほど胸を打つ日常の叙事詩である。片渕は宮崎駿の弟子で、この巨匠の『魔女の宅急便』で演出補を務めた。

片渕は、労を惜しまずに日常生活の美しさと静かな詩情を恭しく賞賛し、そのすべては気付かぬうちに第二次世界大戦中の平均的日本人の忍耐と犠牲に捧げる作品へと変わってゆく。

実際、労を惜しまなかったことは、作品の半分どころの話にとどまらない。というのも、片渕はこの物語の細部の調査に6年を費やし、細部を正しく作画する裏付けのために、1945年の原爆で中心部が破壊された広島と、その隣の呉の写真を4000枚以上集めた。

こうの史代の漫画が原作の映画『この世界の片隅に』は、人の心に訴える映像で、細心の手つきでまるで写真のようにリアルに織りなされ、最もありふれた状況の中にひそむ魔法を描いている。

せかしはしないが観客を巻き込んでゆくこの作品は、1933年から1946年の日本へのタイムスリップでもある。誰も頼みもしない戦争が人びとの生活を完全に一変させても、お互いをいたわり合う秩序ある世界に私たちはさりげなく浸ることができる。

この物語の原動力は、内気な少女として登場したそばから自分のことを「昔っからぼんやりしとる」と語るすず(のん)である。

日常生活の中でお化けに出会ったりするすずは、周囲の人たちからは取り立てて特別なところのない子どもとして扱われているが、私たちは彼女の中に他の人がもっていないものを見いだす。

広島の海辺で暮らし、海苔を摘んだり干したりして生計を立てる家族の子どもであるすずは、絵を描くのが大好きだが、思いを寄せる少年から鉛筆をもらったことが大事件であるほど貧しい空想ずきな少女として育つ。

これら序盤の段階ですら、すずの生活の日常性に片渕監督は重きを置いている。私たちはこの若い女性が色々なお菓子の値段を見たり、祖母や祖先の墓を訪れたり、妹を笑わせるお話を作ったりするのに寄り添うのである。

すずは、自分の世界に入り込むあまり、会ったことも憶えていない青年・周作(細谷佳正)から求婚されて驚く。周作のプロポーズを受ける前、すずは妹に「うちは大人になるらしい」と言う。

すずは呉の夫の家族に嫁入りする。そこでは、周作を含めて、皆が帝国海軍で働いている。そして、お見合い結婚ではあったが、すずと周作は、お互いに引かれ合うようになる。

本能的に働き者のすずは、細かく描写される終わりのない炊事洗濯などの家事に来る日も来る日も追われるようになる。周作の横柄な姉・径子(尾身美詞)が登場すると、これを上手く切り抜け、径子の幼い娘・晴美(稲葉菜月)といとおしい絆で結ばれる。

戦争と戦争による窮乏がひとりひとりの生活を支配するようになると、すべてが激しさを増してゆき、すずは、極端に少ない配給や民間防衛講習会、面白くも恐ろしいあるシークエンスでは、差し出がましい憲兵からかけられたスパイ容疑の濡れ衣などに対処せざるをえなる。

昔の侍が米を長持ちさせるのに使った策を講じ、「なんでも使って暮らし続けるのがうちらの戦いですけえ」がすずのモットーとなる。私たちは銃後の方はどのような状態であったかをごく稀にしか目にすることがないので、この感覚は魅力的でもある。

戦争が本土に近づき、アメリカの爆撃の頻度が増してくると、『この世界の片隅に』のトーンは暗くなり、すずとその家族は、自身の個人的な悲劇に対処せざるを得なくなる。

1945年8月6日の原爆投下ももちろん描かれるが、予定調和に描かれないところが、片渕の映像作家としての才能の最たるところだ。

平凡であると同時に例外的な印象を与える生活をこのように視覚化することで、『この世界の片隅に』は、動画の美しさと細部の具体性に私たちを引き込む。

すずの物語は人間を非常に深く描いてゆくので、映画の最後にアニメの手が観客に手を振るとき、私たちは友だちに向かってするように手を振り返したい気持ちになるだろう。

※当ブログ内の関連エントリー:

『ELLE』誌フランス版の『この世界の片隅に』のレヴューを訳してみました。

『ル・モンド』紙の『この世界の片隅に』評を訳してみました。

『リベラシオン』紙の『この世界の片隅に』評を訳してみました。

『リベラシオン』紙の『この世界の片隅に』片渕須直監督のインタビューを訳してみました。

『ル・フィガロ』紙の『この世界の片隅に』片渕須直監督のインタビューを訳してみました。


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