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2016年6月

トランジスタの日(6月30日)

○トランジスタの日(6月30日)

 


RCサクセション「トランジスタラジオ」(1981年)
 

アメリカのベル研究所(Bell Laboratories)のジョン・バーディーン(John Bardeen 1908-1991)とウォルター・ハウザー・ブラッテン(Walter Houser Brattain 1902-1987)は、トランジスター開発につながる現象を発見した。

ウィリアム・ブラッドフォード・ショックレー(William Bradford Shockley 1919-1989)と研究を進め、3人の連名で1948年6月30日にトランジスターの発明を発表。1956年にはノーベル物理学賞を受賞した。

トランジスター(transistor)の名付け親は、ノーベル物理学賞受賞者のジョン・R・ピアース(John R. Pierce 1910-2002)。

トランジスターの発明者は日本人?

ちなみに、トランジスターの発明者は日本人だという説もある。

その説とは、NHK技術研究所の内田秀男が、上記3名に先立ってトランジスターの原理をすでに発見していたというもの。

「鉱石ラジオの鉱石は検波しかないが、真空管は検波用もあれば増幅用もある。ならば鉱石でも増幅用ができないだろうか?」という学生時代の着想が元になっているという。思考の流れとしては筋が通っている。1943年にはトランジスター発明の確信を得て、戦後には開発に必要な条件を満たした鉱石の調達の目処も立っていたという。内田はこのトランジスターを「三極鉱石」と命名。

画期的なアイディアであったが、上司の無理解で発表の機会が得られず、GHQの検閲によりこの情報がアメリカに漏れたと言われている。ベル研究所の3名がトランジスターの発明を発表したのは、検閲の半年後だったという。

ただ、当時の日本では、トランジスター開発に必要な高純度のシリコンやゲルマニウムの結晶は入手できなかったとの理由で、日本人発明説を否定する声もある。

これらの話を聞いた素人の私の感触では、内田秀男はトランジスター原理を発見し、発明直前までアイディアを練っていたものの、実際に現物をつくるところまでは至らず、ベル研究所の3人に先を越されてしまったということなのかもしれない。

ちなみに、秋葉原のラジオセンターの2階に「内田ラジオアマチュアショールーム」という店がある。クラシックなラジオが所狭しと並べられた店内におばあさんが座っている。この方が内田秀男夫人の久子さん。内田秀男が開いた店とのこと。

ラジオセンターにそのような店が存在するというのも象徴的だ。この話を聴くまでは店の前を何の気なしに通っていたけれど、この話を知って以来、特別な店のような気がしている。

NSの歩きかた 第10回 アキバに見た ヴィンテージ・ラジオの宝庫(「NipponStyle JKヴィジュアルアーカイブ」内)

秋葉原ラジオセンター各店舗のご案内 内田ラジオアマチュアショールーム


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FMの日(6月13日)

○FMの日(6月13日)

 

6月13日は「FMの日」なのだとか。FMの「F」がアルファベットの6番目、「M」が13番目というのが由来とのこと。

FM(frequency modulation:周波数変調)の発明者はエドウィン・ハワード・アームストロング(Edwin Howard Armstrong, 1890-1954)。彼は、超再生方式、スーパーヘテロダイン方式の発明者でもあり、20世紀で最も偉大なラジオ技術者のひとり。

ちなみに、FMラジオの特許成立は1933年12月26日(アメリカ合衆国特許第1,941,066号)。

RADIO SIGNALING SYSTEM - Google Patent Search

以前、ローレンス・レッシグ『FREE CULTURE』(翔泳社、2004年)で、FMラジオについて、次のような印象深いエピソードを読んだことがある——

アームストロングは、1935年11月5日、エンパイア・ステイト・ビルディング(Empire State Building)で行われていた無線技術者協会の会合でFM放送の実証実験を行い、これまで聴いたこともないクリアーな音声で人びとを驚かせた。

アームストロングはRCA(Radio Corporation of America、AV機器用ケーブルのRCA端子でおなじみですね)からの依頼をきっかけに、このFM技術を発明した。

ただ、RCA社長のデイヴィッド・サーノフ(David Sarnoff, 1891-1971)は、アームストロングがAM放送のノイズ除去フィルターを開発するものと期待していた。意に反して、アームストロングはAM放送に対抗しうる全く新しい放送技術を発明してしまったのだ。即ち、アームストロングは、RCAのライヴァルになってしまった。

RCAは当時のアメリカ合衆国のラジオ業界を牛耳る存在。サーノフ社長は、FM技術を社内に封じ込めた。そして、連邦通信委員会(FCC)長官・AT&Tなども巻き込み、テレビ用の周波数調整の名目でFMラジオの割当周波数帯を変更し、出力も制限した。結果として、FMラジオの普及は遅れた。

テレビにもFM技術が使われているが、RCAはアームストロングにFM技術の特許無効を宣告、特許使用料支払いを拒否。

アームストロングはRCAとの訴訟のあと破産し、1954年1月31日、妻へ宛てた遺書を残して13階の窓から投身自殺した。

以上がローレンス・レッシグ『FREE CULTURE』で紹介されていたFM技術開発の裏話。

サーノフ社長は、アームストロングの訃報にふれて「私がアームストロングを殺したわけではない」(I did not kill Armstrong.)とコメントしたと言われている。

皆さんが日頃聴いているFMラジオの背景にはこのような話があることをぜひご記憶ください。

Edwin Howard Armstrong (1890 - 1954) - Find A Grave Memorial(英語)
※お墓検索サイトのアームストロングのページ。サイバーお墓参りをどうぞ。ヴァーチャル献花もできるようです。


Edwin Howard Armstrong, 1890-1954
 

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