« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

オタクvs大企業。技術革新のシビれる論文:スーザン J. ダグラス「技術の抵抗的使用と企業競争——ラジオ放送の事例」。Susan J. Douglas, "Oppositional Uses of Technology and Corporate Competition: The Case of Radio Broadcasting" (1993)

○オタクvs大企業。技術革新のシビれる論文:スーザン J. ダグラス「技術の抵抗的使用と企業競争——ラジオ放送の事例」。Susan J. Douglas, "Oppositional Uses of Technology and Corporate Competition: The Case of Radio Broadcasting" (1993)

 

『技術競争力——電気・電子・コンピューター産業の歴史と現在』(1993年)という論文集に載っている、スーザン J. ダグラス「技術の抵抗的使用と企業競争——ラジオ放送の事例」(1993) という論文がカッコいい。

スーザン J. ダグラス(Susan J. Douglas)は、ジェンダー論・メディア論研究者で、ミシガン大学アナーバー校キャサリン・ニーフィー・ケロッグ記念教授(コミュニケイション学)。

Welcome :: Susan J. Douglas(公式サイト、英語)

ラジオに関する単著には、

があります。その他、論文多数。こんな面白そうな研究をしている人がいるとは知りませんでした。

前述の論文「技術の抵抗的使用と企業競争——ラジオ放送の事例」は、先端技術の開拓は社会と文化を刷新する革命であり、その革命を担ってきたのはアマチュアの技術オタクだという話。そのような革命の契機が、企業競争によって阻害されてはいないかという問題提起。

特に、論文の締めの部分がシビれるので、翻訳してご紹介します:

出典:Susan J. Douglas, "Oppositional Uses of Technology and Corporate Competition: The Case of Radio Broadcasting", William Aspray ed., Technological Competitiveness: Contemporary and Historical Perspectives on the Electrical, Electronics, and Computer industries (New York: Institute of Electrical and Electronics Engineers, 1993) p.218

支配的な文化に対する技術マニアの抵抗反応は、人類史上の様々なタイミングで爆発的な前進を続けてきた。そのような抵抗反応が表象しているのは、文化とはいかなるものであるべきかということ関する真剣でしばしば熱狂的な物の見方であり、市場の需要が文化的実践と製品をどの程度まで形づくるべきかという疑問である。同時に、それらの抵抗反応が表象しているのは、機械が共同体の意義を増進し、優れた文化を創造しうるというユートピア的な考えをもつ男たちから成るサブカルチャー集団のヴィジョンである。しかし、資本主義の最大の強みは、抵抗の声と形式をより大きな枠組に取り込み、そのような抵抗を自らの目的に適合させる能力である。

商業技術史家は、この抵抗と吸収と馴致の過程——技術のある種の抵抗的応用を取り込むと同時に、他ならぬ新しい技術を生み出した抵抗がもつ偶像破壊的な要素を周辺に追いやる過程——についてさらに十全に再考する必要がある。確かに、その過程は、主流の文化が、変化し、豊かになり、技術的不確定と文化的上昇の契機に短いあいだだが実際に多様性を開花させることができるという文化的な利益をもたらす。しかし、企業によるより完璧で堅固な技術支配と、強化された参入障壁をかんがみれば、今でも、ボトムアップの競争が登場し、アメリカの工学における新たな競争力を引き出すことは可能だろうか? これは確かに、今日われわれが直面する主要な問題のひとつである。

僕の訳では読みにくいという人は、該当箇所の原文をどうぞ:

Oppositional reactions against the dominant culture by technological enthusiasts have burst forward at various moments during our history. They represent serious, often passionately held views about what culture should be, and questions about the extent to which the demands of the marketplace should shape cultural practices and products. They also represent the vision of subcultural groups of men with often utopian ideas about how machines can promote a sense of community and reproduce cultural excellence. But one of capitalism's greatest strengths is its ability to incorporate the voices and styles of the opposition into a larger framework, and to adapt such opposition to its own ends.

Historians of business and technology need to consider more fully this process of opposition, co-optation, and taming, a process that incorporates certain oppositional applications of technology while simultaneously marginalizing the more iconoclastic elements of opposition that spawned the new applications in the first place. The cultural benefits are, of course, that mainstream culture does change, is enriched, and does, at moments of technological uncertainty and cultural upheaval, provide brief periods when diversity can really flower. But in times of more complete and entrenched corporate control over technology, and increased barriers to entry, can such competition from the bottom up still emerge and provoke new competitiveness in American engineering? That is certainly one of the major questions we face today.


当ブログ内の人気記事


Google

| | コメント (0) | トラックバック (0)

談志・円鏡 歌謡合戦(ニッポン放送、1969年10月6日(月)〜1973年3月21日(月)または4月4日(水)?)

○「談志・円鏡 歌謡合戦」(ニッポン放送、1969年10月6日(月)〜1973年3月21日(月)または4月4日(水)?)

 

橘家圓蔵、死去。

8代目橘家圓蔵が、2015年10月7日午前3時30分、心室細動で死去。享年81。

人によっては、「橘家圓蔵」よりも「月の家圓鏡」の名跡のほうが馴染み深いかもしれない。

圓鏡といえばクリンビューとエバラ焼肉のたれ

圓鏡といえばクリンビューとエバラ焼肉のたれのCM。私も子どもの頃にかろうじて見た記憶がある。


月の家圓鏡出演テレビCM
(メガネクリンビュー、クリンビュー浸透防錆潤滑剤601、エバラ焼肉のたれ)
 

「談志・円鏡 歌謡合戦」(ニッポン放送、1969〜1973年)

しかし、ラジオっ聴きにとって、圓鏡といえば「談志・円鏡 歌謡合戦」(ニッポン放送、1969〜1973年)だ。私が生まれる前の番組だけれど、木魚を叩きながら次々と繰り出すノンセンスなフレーズの応酬は、いま聴いても、非常に前衛的だ。

『立川談志ひとり会落語CD全集第二期』(1997年)の特典として番組音源がCD化されている。


「談志・円鏡 歌謡合戦」(ニッポン放送、1969〜1973年)
 

『週刊文春』2015年10月29日 秋の特大号では、「談志・円鏡 歌謡合戦」について、立川志らくの証言を交えつつ、次のように紹介されている:

そんな二人[立川談志・月の家圓鏡]が共演した伝説のラジオ番組がある。若き日の北野武も収録を見学に来ていたという『談志・圓鏡歌謡合戦』だ。

「台本一切なしの生放送。『落語は言葉のイリュージョンだ』という家元の哲学を体現する番組でしたね。過激過ぎてスポンサーがいなくなり、CMなしで放送したこともあった」

「〈橘家圓蔵〉 愛弟子が明かす「談志との友情」と「志ん生のテープ」」、『週刊文春』2015年10月29日 秋の特大号

Wikipediaに載ってない「談志・円鏡 歌謡合戦」

「談志・円鏡 歌謡合戦」について、ネット上に詳しい情報がないため、当時の新聞のラジオ欄を基にまとめてみた。以下、Wikipediaにも載っていない情報(笑)

  • 1969年10月6日(月)
    「歌謡曲だよ全員集合」(月〜金18:30-20:40)に内包されるかたちでに放送開始。
     
  • 1970年4月1日(水)
    放送時間帯を昼に移し、「西銀座で歌謡曲」(月〜金13:00-15:00)内で放送されるようになる。
     
  • 1973年3月21日(月)
    「西銀座で歌謡曲」および「談志・円鏡 歌謡合戦」の通常放送終了。
     
  • 1973年3月22日(火)〜4月6日(金)
    第45回選抜高校野球選手権大会中継により、「西銀座で歌謡曲」は野球中継中止の場合に放送される予定になっていた。
     
    期間中、4月4日(水)の準決勝が雨で順延。従って、この日は「西銀座で歌謡曲」および「談志・円鏡 歌謡合戦」が放送されたと推測される。

    ちなみに、この年のセンバツ優勝校は横浜高校。延長11回の接戦を制し、初出場での優勝(横浜3-1広島商業)。
     
  • 1973年4月9日(月)
    「西銀座で歌謡曲」が放送されていた時間帯に、新番組「どんとこい!歌謡曲ニッポン」(月〜金13:00-15:00)、放送開始。

最後に一席

最後に橘家圓蔵の持ちネタのひとつ、「猫と金魚」

元もとは、若き日の圓蔵が心酔していた初代柳家権太郎の持ちネタで、高見沢路直(後の田河水泡)による創作落語。


橘家圓蔵「猫と金魚」
 

※当ブログ内の関連エントリー

立川談志x伊集院光:伊集院光のUP'S 深夜の馬鹿力(TBSラジオ、1998年12月14日(月)25:00-27:00)


当ブログ内の人気記事


Google

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リクエストの日(10月25日)

◯リクエストの日(10月25日)

 

リクエストの日

10月25日は「リクエストの日」。

1936年の10月25日、ドイツ放送ベルリン局(Deutschlandsender Berlin)で、ラジオのリクエスト番組が始まったことに由来する、と言われている。

ことの発端は1935年のクリスマス、オーケストラによる生演奏番組の放送中に、リスナーから、自分の好きな曲を演奏してほしいとの電話が入った。番組はこれに応えた。これが世界初の電話リクエストと言われている。

しかし、注意深い人はお気づきかもしれない——「10月25日じゃないじゃん」。世界初の電話リクエストは1935年の12月25日だが、1936年の10月25日まで10か月の時間差がある。

この話には続きがある。

1935年の12月25日にリクエストが叶ったリスナーは、お礼として「ドイツ民族冬季援助活動」(Winterhilfswerk des Deutschen Volkes)に20ライヒスマルクを寄付した。救世軍の社会鍋のような慈善活動と思われる。

この出来事に着想を得たドイツ放送アナウンサーのハインツ・ゲデック(Heinz Goedecke)は、年明けの1936年1月14日、「冬季援助活動のためのリクエスト・コンサート」(Wunschkonzert für das Winterhilfswerk)を放送。今の日本で言うと、「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」(ニッポン放送、毎年12月24日12:00〜12月25日12:00)みたいなものかもしれない。

肝心の1936年10月25日開始の番組については、結局、今のところ判らずじまい。ウェブ上の文章や書籍を結構調べたのだけれど、10月25日の番組について具体的な記述が見当たらない。推測だが、同じコンセプトの番組がレギュラー化したものと思われる。調査継続中。情報をおもちの方は、是非ご教示を。

いずれにせよ、心温まるラジオのいい話だ。

「国防軍のためのリクエスト・コンサート」

しかし、以上はすべて、ナチス政権下で起こった出来事である。

人間は、いかなる時にも善意とユーモアを失わず、他者をいたわる存在であるとも言えるが、裏を返せば、普通の善良な市民が、他者の殲滅を目論む専制に容易に加担しうるとも言える。皮肉な真実である。

その後、番組は方向転換する。

ドイツ軍のポーランド侵攻によって第二次世界大戦の口火が切られたのは1939年9月1日。そのちょうど1か月後の10月1日、番組は、兵士たちのリクエストに応える「国防軍のためのリクエスト・コンサート」(Wunschkonzert für die Wehrmacht)へと衣替えし、前線・銃後における国威発揚と軍資金調達のために利用された。

この番組は、エドゥアルト・フォン・ボルゾディ(Eduard von Borsody)監督のプロパガンダ映画『リクエスト・コンサート』Wunschkonzert(1940年)の題材として取り上げられた。


エドゥアルト・フォン・ボルゾディ[監督]
『リクエスト・コンサート』Wunschkonzert(1940年)

演壇に立っているのがアナウンサーのハインツ・ゲデック。
 

※[お願い]登場したドイツ語の固有名詞に定訳があれば、是非ご教示下さい。

「前線へ送る夕」(NHK)

ちなみに、日本で戦時中に放送されていた「前線へ送る夕」(東京放送局=現在のNHK)は、「国防軍のためのリクエスト・コンサート」を参考にしたものである。


「前線へ送る夕」
 

※当ブログ内の関連エントリー:

ラジオのダークサイド:NHKスペシャル 「なぜ隣人を殺したか〜ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送〜」(NHK総合テレビ、1998年1月18日(日)21:00-21:58)


当ブログ内の人気記事


Google

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »