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坂田謙司「メディア遊びとミニFM——マイナーメディアの文化論」、高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)

○坂田謙司「メディア遊びとミニFM——マイナーメディアの文化論」、高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)

 


高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)
 

高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)という論文集に、ミニFMを扱った、坂田謙司「メディア遊びとミニFM——マイナーメディアの文化論」という論文が収録されている。

最近は、社会関係資本(social capital)という視点からミニFMをとりあげる論文がたまにあるけれど、坂田論文は、ユース・カルチャーあるいはカウンター・カルチャーという切り口からの考察。

何かを論証するというよりは、ミニFM小史といった趣。ミニFMの歴史のおさらいにとても役に立つ。

ミニFMブームは雑誌から火がついたと言われているけれど、雑誌からの引用が多く、脚注が記事目録としても使えて重宝する。

ミニFMに興味のある人はご存知かもしれないが、粉川哲夫は、「放送ごっこ」としてのミニFMと、アウトノミア的アクティヴィズムとしての自由ラジオを区別する。

もちろん、粉川の主張には理解できる部分もある。ただ、坂田論文を読んでみて、NHK・県域民放AM局・全国ほぼ同じ番組を流しているJFN系県域FM局という当時のラジオ界のメディア編成を考慮すると、自前の放送局を立ち上げて独自の価値を創造・発信しようというミニFMの試みにも、ある一定の自治の契機を認めることができるのではないかと確認した。

エドワード・サイード(Edward W. Said)スチュアート・ホール(Stuart Hall)を引くまでもなく、文化とはそもそも政治的で、したがって、どのようなレヴェルにおいても権力闘争の契機を含んでいるものである。

この時代のミニFMは、放送業界に多くの人材を送り込んだ。好意的に評価すれば、ミニFMは民間に埋もれた才能を発掘・涵養する梃子と揺籃の役割を果たした。批判的に評価すれば、ミニFMは結局のところ既存のメディア状況を転覆・攪乱するには至らず、むしろそれを強化するブート・キャンプの役割を果たした。

カウンター・カルチャーが、マスコミと大資本による介入を経て、既存の消費社会のサブ・カテゴリーに収まって弱体化するという図式は、すべてのサブカル的事象に共通しているように思われる。馬場康夫[監督]『波の数だけ抱きしめて』(1981年)も、まさにそういう話だった。

* * *

『メディア文化を社会学する』の他の論文

この論文集には、前掲論文の他、「「任侠映画」と『あしたのジョー』」「『スラムダンク』の「魅力」」など、社会学徒じゃない人も興味をもって読める論文も収録されている。気になったかたはご一読を。

なかでも、福間良明「『男たちの大和』と「感動」のポリティクス——リアリティのメディア論」が面白かった。福間は、安田武『戦争体験——1970年への遺書』(未來社、1963年)を引きつつこう言っている:

「他人の死に感銘を受ける」ということは、ときに「生者の傲岸」でもある。(p.261)

溜飲下りまくりであります。

目次
 はじめに
■第一部 視点を変えてみる
第一章 スポーツ中継とメディアの媒介性――実況放送の社会学(高井昌吏)
第二章 「見る」とは何か――三つの視覚モード(谷本奈穂)
第三章 「任侠映画」と『あしたのジョー』――「男らしさ」のメディア学(高井昌吏)

■第二部 歴史から現在を考える
第四章 『主婦之友』にみる台所と女性――生活空間の意味変容(村瀬敬子)
第五章 皇室イメージの戦前と戦後――大衆天皇制の文化社会学(石田あゆう)
第六章 「きょうの料理」にみる「伝統」の創造――テレビとジェンダーの社会学(村瀬敬子)
第七章 戦後沖縄と「終戦の記憶」の変容――「記念日」のメディア・イベント(福間良明)

■第三部 流行現象を読み解く
第八章 メディア遊びとミニFM――マイナーメディアの文化論(坂田謙司)
第九章 「若い女性」の誕生――雑誌が生み出す読者像(石田あゆう)
第一〇章 『男たちの大和』と「感動」のポリティクス――リアリティのメディア論(福間良明)
第一一章 『スラムダンク』の「魅力」――読者解釈と構造分析(谷本奈穂)

※当ブログ内の関連エントリー

東京のミニFM局リスト

『現代思想』特集:フェリックス・ガタリ 2013年6月号 vol.41-8(青土社)

馬場康夫[監督]『波の数だけ抱きしめて』(1991年)。

ミニFM局をネット検索で見つける方法。

仰木 豊[監督]『FM89.3MHz(えふえむやくざ)』(AMGエンタテインメント/楽映舎、2006年;2007年劇場公開)

モブ・ノリオ『JOHNNY TOO BAD 内田裕也』(文藝春秋、2009年)

新幹線ミュージックチャンネルを聴き納めしました。


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