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フェリックス・ガタリ「民衆自由ラジオ」(1978年):Félix Guattari, “Les Radios Libres Populaires” (1978)

○フェリックス・ガタリ「民衆自由ラジオ」(1978年):Félix Guattari, “Les Radios Libres Populaires”  (1978)

 

自由ラジオ/ミニFM実践理論の古典

フェリックス・ガタリ「民衆自由ラジオ」(1978年)という論文がある(Félix Guattari, “Les radios libres populaires” 1978)。

自由ラジオ/ミニFM実践理論の古典にして、ラディカルでハードコアなカッコイイ論文。

論文集 La révolution moléculaire (1980) 所収。

何年か前に恵比寿の日仏会館図書室にフランス語版を見に行った時には、蔵書検索には引っ掛かるけれど肝心の本がなかった。聞けば、前に借りたヤツがパクったまま連絡が取れないという話。返せよ! で、結局、買うハメに。

日本語版は、『分子革命——欲望社会のミクロ分析』(法政大学出版局、1988年)で読むことができる。

数ページの短い文章で難解なところもなく、「自由ラジオ」の概要を掴むのに役立つ。

ガタリが放つ電波(笑)にチューニングが合えば、君の心と脳ミソにも誘導電流がビリビリ流れて、何かの声が聴こえるゼ!

パンチ・ラインはココだ!

最後に、同論文のパンチ・ラインを紹介:

——ビデオや映画の場合、技術的指導権は本質的に巨大産業企業の手中にある。

——それに対して、自由ラジオの場合は、技術の大半は《器用仕事(ブリコラージュ)》の独創性、自由ラジオを促進する当人に依存している。

シビれるゼ!

フェリックス・ガタリ 民衆自由ラジオ 分子革命
フェリックス・ガタリ「民衆自由ラジオ」
『分子革命——欲望社会のミクロ分析』(法政大学出版局、1988年)

 

※参考

(Xchange) Fw: Felix Guattari: Popular Free Radio(英語)
※「民衆自由ラジオ」の英訳。英語が得意な人はここでタダで読めます。

※当ブログ内の関連エントリー

東京のミニFM局リスト

ミニFM局をネット検索で見つける方法。

『現代思想』特集:フェリックス・ガタリ 2013年6月号 vol.41-8(青土社)

坂田謙司「メディア遊びとミニFM——マイナーメディアの文化論」、高井昌吏/宮本奈穂[編]『メディア文化を社会学する——歴史・ジェンダー・ナショナリティ—』(世界思想社、2009年)

馬場康夫[監督]『波の数だけ抱きしめて』(1991年)。

梅村太郎/塚原一成[監督]『ガレキとラジオ』(2012年)を観た。

モブ・ノリオ『JOHNNY TOO BAD 内田裕也』(文藝春秋、2009年)


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