「日本のクリント・イーストウッド」高倉健、死去:仏『ル・モンド』紙の記事を翻訳してみました。Le Monde.fr 19.11.2014
○「日本のクリント・イーストウッド」高倉健、死去:仏『ル・モンド』紙の記事を翻訳してみました。Le Monde.fr 19.11.2014
フランスの新聞『ル・モンド』Le Monde のウェブサイトに、高倉健死去に関する記事が出ていたので翻訳してみました。
「日本のクリント・イーストウッド」高倉健、死去。
「日本のクリント・イーストウッド」とも称され、文化勲章を授与された唯一の日本の俳優・高倉健が、11月10日に東京で死去したことが所属事務所により発表された。享年83。
日本のあらゆるメディアが、11月18日の午後、安倍晋三首相の解散表明をよそに、日本映画の記念碑的人物に惜しみない讃辞を贈った。新聞各紙は「『健さん』の愛称で知られ、25歳で俳優業をスタート、映画人として半世紀以上のキャリアをもつ、戦後日本を象徴する俳優」と強調した。映画評論家はテレビで「身も心も強い男を演じることのできる俳優」と語った。
高倉自身によれば、「いつも強い本当の男」・耐える男・泣かない男でいることは簡単なことではなかったという。それでも、彼はそれを気に入っていた。あるときは警察官、またあるときは侠客、しゃがれ声と落ち着いた表情、まるで測ったような一挙手一投足で一言一句を発した俳優・高倉健は、国際的には、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』でのマイケル・ダグラスとの共演で知られていた。
「これからも生きるために一生懸命に演じていきたい」
中国では高く評価されている高倉健(本名・小田剛一)も、西洋では同様の名声を得るには至らなかった。福岡県生まれで身長180cmの高倉と同じ日本の人たちは、山田洋次監督『幸せの黄色いハンカチ』における観客を魅了する存在感と、降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』における感動的な演技を思い出す。
「私は生きるために俳優になり、これからも生きるために一生懸命に演じていきたい」——高倉は数年前に日本での主演男優賞授賞の席でこう語った。また、映画『ホタル』の撮影後、NHKのインタヴューでは、いつものシリアスな面持ちで「撮影が終わるといつも寂しい」と吐露した。『ホタル』は、戦中戦後が舞台の、国のために命を落とした若い兵士に関する2001年公開の映画。高倉は「この映画をつくらなければならなかった」と語った。
高倉は、昨年、俳優で初めて文化勲章を授章した際に「日本人に生まれて本当によかった。日本のたった5人しか選ばれない1人に、映画俳優をやっていても選ばれたということが、とってもうれしかったです」。「二百何本という膨大な数字の本数をやらせていただきましたけれども、ほとんどは前科者をやりました。そういう役が多かったのにこんな勲章をいただいきました。これからの作品選びとか、章に恥じないものをやらなければいけない」とコメントした。
※当ブログ内の関連エントリー:
○ル・モンド紙、震災と原子力ロビーに関する記事を翻訳してみました:「福島、罪深き沈黙」 "Fukushima, silences coupables", Le Monde, 26 Mars 2011
○フランス誌で福島原発特集:Fukushima: et si le pire était à venir? Le Nouvel Observateur, du 23 au 29 août 2012.
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