「秋葉原」の地名の由来はココだ!:秋葉神社(東京都台東区松が谷3-10-7)
○「秋葉原」の地名の由来はココだ!:秋葉神社(東京都台東区松が谷3-10-7)
※加筆・修正しました。(2014年9月20日)
電気街・ホビーの街として知られる秋葉原。
地名の由来は、火災の延焼を食い止める火除地と、そこに建立された社にちなんだ「秋葉原(あきばはら)」。この「あきばはら」が「あきはばら」に転じた。ご存知の人も多いかもしれない。
1869(明治2)年12月に神田花岡町一帯を襲った大火を期につくられた火除地に、英照皇太后の意向を受けた明治天皇の勅命で、皇居内の紅葉山から火産霊大神(火の神)・水波能売神(水の神)・埴山比売神(土の神)の「鎮火三神」が勧請され、鎮火社が創建された。
「秋葉大権現」として地元民の信仰を集めたが、これは早とちりで、実際には秋葉大権現と関係はない。
「世人、当社を鎮火の社と号せらるゝをもて、子細を弁ぜずして遠州秋葉山の神を勧請ありしと心得て、参詣のもの秋葉山権現と称へて拝する人まゝあり」
『武江年表』明治三年の記述で、当時の東京市民の多くは鎮火社の祭神は秋葉権現と別なのに「火伏せの神さまなら秋葉権現に違いない」と勝手に思い込んでしまった。
しかし、これにより当地は「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼ばれるようになった。
この社は、今は秋葉原には存在しない。
現在の秋葉原駅の場所にあった社は、1888(明治21)年、鉄道の路線延長の際に現在の東京都台東区松が谷3丁目に遷され、1930(昭和5)年に秋葉神社となった。
秋葉神社はどんな神社か?
行ってみた。
最寄駅は上野駅。入谷口から徒歩15分ほどの距離。日本初の鉄道学校で岩倉具視の名を冠する岩倉高校を右手に見つつ進み、上野バイク街を通り抜け、北山珈琲店の黄色い幌が見えたら右折。昭和通り・清洲橋通りなどを横断したら、神様までもう少しだ(Googleマップ)。
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あった!
周辺は静かな住宅地で、所どころに商店や工場などがある。人通りは少なく、地元の人ばかりだ。
西側の鳥居
ビルの隙間です。
秋葉神社の由緒書き
上の画像をクリックすると大きな画像が開きます。
火渡神事の英語解説
鳥居の向こうは、いい感じに木々が茂っています。
社殿
本坪鈴と銘板
こぢんまりとした境内
手水舎と神輿蔵などがあります
例大祭は5月18日、鎮火際・火渡神事は11月6日。
御遷座百年記念碑
提灯
紋は「丸に剣花菱」
猫
東側の鳥居
参道は東西に伸びている。
結論:秋葉神社はアキバ系ではない。
※当ブログ内の関連エントリー
○秋葉原の昔と今 1956/2014:川島雄三[監督]『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)
○ラジオな一曲(39):吾妻光良 & The Swinging Boppers「秋葉原」(1991年)
○秋葉原ラジオストアー閉館、64年の歴史に幕(2013年11月30日)
○秋葉原無差別殺傷事件被告・加藤智大の軌跡:「中島岳志のフライデースピーカーズ」(三角山放送局:札幌市西区周辺 76.2MHz、2012年9月7日(金)15:00-17:00)
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