勝鬨橋・洲崎の昔と今 1956/2014:川島雄三[監督]『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)
○勝鬨橋・洲崎の昔と今 1956/2014:川島雄三[監督]『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)
2014年5月12日(月)~22日(木)にかけて、池袋の新文芸坐でやっていた川島雄三監督特集で、『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)を観た。
川島雄三[監督]『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)
古い映画の面白さのひとつは、当時の街の様子が記録されているところだ。
主なロケ地として、当時の勝鬨橋・洲崎・秋葉原が登場する。「映画は56年5月の売春防止法成立直後、クランクイン」、劇場公開日は1956年7月31日。したがって、作品に映し出されるのは、少なくとも1956年5月21日〜7月31日の2か月のあいだの東京ということになる。
訪ねてみた。
勝鬨橋
勝鬨橋
同じアングルは無理でした。
勝鬨橋
橋の色が違う。
所持金も行くあてもない義治(三橋達也)と蔦枝(新珠三千代)は、勝鬨橋からバスに乗る。
今でもほぼ同じ場所に、都営バスの勝鬨橋南詰バス停が存在する。
勝鬨橋は、かつては大きな船が航行する際に橋桁の一部が開く跳ね橋(跳開橋)であったが、現在は開閉しない。再稼働を求める地元住民の声もあるようだが、膨大な費用がかかるため実現していないとのこと。現地に行くと判るが、開閉を前提としない設備や配線も追加されている。
大金を使って築地市場を移転するぐらいなら、勝鬨橋を動かせばいいのにと思わなくもない。市場とセットで観光の目玉になるんじゃないかな。
勝鬨橋の歩道と車道を隔てるガードレール
跳ね橋が稼働していた頃を偲ばせる。
洲崎
ふたりは洲崎弁天町バス停に降り立つ。
洲崎弁天町バス停付近
今でも概ね同じ場所に都営バスの東陽三丁目バス停が存在する。永代通りの向こうのそば屋は今も健在。
洲崎大門
洲崎川にかかる洲崎橋の向こうにそびえる洲崎大門。その先は出島で遊郭街。現在ガードレールの部分が、かつて橋だった。
当時の洲崎は、赤線地帯の末期。映画のクランクインが売春防止法成立直後の1956年5月、売春防止法施行は1958年。現在は普通の商店街・住宅街だが、往時の「特殊喫茶店」を偲ばせるカフェー建築が、2011年頃までは残っていたとのこと。
○「映画監督 川島雄三と時代」(1) 洲崎パラダイスの痕跡 没後50年、変転リアルに : てくてくjapan - 47NEWS(よんななニュース)
○赤線跡・深川洲崎弁天町 (2) カフェー建築 - 東京DEEP案内
○木村聡『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 | 遊郭部
○赤線跡探訪・洲崎の消えた赤線建築 : ねりうま写真生活
現在は、洲崎川、洲崎橋、洲崎大門のいずれも残っていない。
洲崎川は埋め立てられて……
……洲崎川緑道公園に。
洲崎橋の銘板は記念碑に。
洲崎大門があった場所には日章旗と愛国的提言。
洲崎大門は通りに名前を留めている。
ふたりは、洲崎橋北詰の飲み屋兼貸しボート屋「酒の店 千草」に身を寄せる。
酒の店 千草
むかし千草、今はるみ。
洲崎端北詰
洲崎端北詰
左奥の「化粧品きくや」は現在も同じ場所で営業中に。
「酒の店 千草」から西に5分ほど歩いたところに洲崎神社(洲崎弁天)がある。
洲崎神社(洲崎弁天)
洲崎神社境内
ちなみに、弁天様につきものの弁天池が見当たらなかった。調べたら、境内裏手にあった弁天池は2013年頃に埋め立てられたようで、駐車場になっていた。
江東区木場の洲崎弁天池(写真奥)が洲崎神社改築により消滅する。池の畔に祀られている弁天社(写真右側)は境内に移転された。『洲崎の女性の守り神(睦会長談)』の弁天様と共に大切な池だった。長年地域の方々に愛され続けた。何とも寂しい気持ち… pic.twitter.com/Q69IMyXZrL
— おおやね匠(江東区議会議員) (@oyanetakumi) 2013, 4月 14
弁天池跡
長くなったので、今回はここまで。
次回は秋葉原。

川島雄三[監督]『洲崎パラダイス赤信号』(1956年)
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