東日本大震災と『惑星ソラリス』 (1972)
○東日本大震災と『惑星ソラリス』:Андрей Тарковский, Солярис (1972)
東日本大震災から3年を機に、思うところあって、アンドレイ・タルコフスキー[監督]『惑星ソラリス』Солярис(1972年)を観なおした。
ベルトン 知識のためなら何をやってもいいという考えは支持できない。倫理に基づいてこそ本当の知識だ。
ケルヴィン 科学が倫理的か非倫理的かは人間次第さ。ヒロシマを思いだせ……。
ベルトン だったら、科学を非倫理的にするようなマネはやめろ。おかしいじゃないか!
Бертон Я не сторонник познания любой ценой. Познание тогда истинно, когда опирается на нравственность.
Кельвин Нравственной или безнравственной науку делает человек. Вспомните Хиросиму...
Бертон Ну так не делайте науку безнравственной. Странно!
このように言語で明示される部分の他にも、映画的な表現で、人間と科学、他者、海、死者の記憶などについて多くの示唆を与えてくれる。
映画の神秘は、言葉で語り得ないことを見せることができる点にある。
アンドレイ・タルコフスキー[監督]
『惑星ソラリス』Солярис(1972年)
人間の想い通りになるものは案外少ないのかもしれない。地殻も海も放射性物質も、人間にとっては依然として服わぬ他者。
「どうやって海とコミュニケーションが取れるというんだ? 人間同士ですら、まだやり方がわからないというのに」
"Jak możecie się porozumieć z oceanem, jeżeli nie potraficie już tego uczynić między sobą?”
『惑星ソラリス』は難解な作品だと言われているが、現在の日本人は必ずしもそう感じないかもしれない。
もちろん、レムやタルコフスキーを予言者にでっち上げるつもりはない。
ただ、ソラリスの海の水鏡には、覗き込んだ自分の姿が映る。
※訳が変だったらご教示ください(特に、ポーランド語のほう)。
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コメント
研究者たちが自殺する原因は、自分が意識していることが現象化するため、幽霊ではなく意識の現象化としての亡き妻や母が出現するという状況だったと思いますが、亡霊が出現する能なのかもしれません。コペンハーゲン解釈でのボーアの述べた事項の向こうへ一歩進まなければなりませんが、それにはわれわれの意識が、実在論の時空にとらわれていることを突破しなければならないでしょう。ソラリスの陽のもとに。
投稿: ビフォ | 2014年3月16日 (日) 05時38分