「誰が山本太郎を当選させたのか 「山本親衛隊」という『宗教』」、『WiLL』2013年10月特大号(ワック出版局)
◯古谷経衡「誰が山本太郎を当選させたのか——「山本親衛隊」という『宗教』」、『WiLL』2013年10月超特大号(ワック出版局)
この解釈を通じて、われわれは「ジャンク知識」の存在に取り組むことになる。「ジャンク知識」とはすなわち、私たちの知識を拡張するごく普通の推論を妨げるような知識のことである。とりわけ、教条主義者の推論が批判の対象となるが、その理由は、彼の推論では、既知の条件のいくつかのせいでモードゥス・ポーネンスを通じた知識の拡張ができないという事実に思いが至らないからである。
「理解的に」解明されたもののこの「明証性」が、「妥当性」といかなる関係ももつものではないことは慎重に弁別すべきである。なぜなら、それは、論理的な側面については、単に「解明的に」把握しうる諸連関の思惟可能性を、また、物象的側面については、単にその諸連関の客観的可能性を、前提条件としておのれのうちにふくむにすぎないからである。
◯Max Weber, "Roscher und Knies und die logischen Probleme der historischen Nationalökonomie" (1903-1906)
(マックス・ウェーバー『ロッシャーとクニース』(未來社、1988年) p.234 の訳を一部変更)
山本太郎参議院議員の悪口が聞きたくてたまらない人たちの前に、成形肉の餌が投げられた。ファスト知識・ジャンク知識ずきにはタマラナイ御馳走。
『WiLL』2013年10月特大号(ワック出版局)掲載の、古谷経衡「誰が山本太郎を当選させたのか——「山本親衛隊」という「宗教」」という記事。
『WiLL』2013年10月超特大号(ワック出版局)
ネット上で話題になっていて、頻繁にツイートされたりしているようだ。8月終盤に紙の雑誌で出た時には、大して話題にならなかったようだけれど。
ちなみに、記事冒頭のツカミは「伊集院光 深夜の馬鹿力」の話だ。筆者はリスナーなの?
この記事の以下の部分が頻繁に引用されているようだ:
しかし、もはや自分がサヨクである自覚もなく、山本[太郎]や三宅[洋平]を熱心に応援している層は、貧困であるがゆえに(時に必然として)社会へコミットしていく、という古典的な社会運動や労働運動の発想自体が存在していない。
むしろ、戦後日本という時代のなかで、大都市で、高所得世帯に生まれ、何不自由なく飼育された人間たちが、その余裕から、それがサヨクであるとも知らずに外から見れば過激で、時に空想的で、馬鹿げた護憲平和思想の虜になっていくのだ。まさしく、戦後日本の宿痾のような人種。それが山本を当選させ、三宅に大きな力を与えた元凶であったように思う。
これ、話、逆じゃね?
「古典的な社会運動や労働運動」はそもそも歴史的に言って、大都市在住の高所得のインテリによって主導されたもので、貧困層が自発的に起こしたものはむしろ少ない。あったとしても「古典的」というよりは極めて新規な現象である。
つげ義春「隣りの女」(1985年)
古典的社会運動は前衛主義
実際のところ、人類史上でこれまでに登場してきた「古典的社会運動や労働運動」は、基本的にブルジョワ革命的であり、前衛主義であった。それどころか、カール・マルクスはルンペンプロレタリアートを軽蔑すらしていた。
フランツ・ファノンが、ナショナリスト政党(=エリート富裕層)ではなく民衆を脱植民地革命の主体として重視した『地に呪われたる者』Les Damnés de la Terre を上梓したのは1961年になってからのことであり、ファノン自身は精神科の医師であった。また、日本共産党が党規約から「前衛政党」の語を削除したのはようやく2000年に入ってからのことであるが、月刊機関誌『前衛』は現在も刊行中である。
正規雇用者により構成される日本の伝統的な企業別労働組合が、非正規雇用者との連帯に消極的なのも周知の通りである。非正規雇用者の労働組合は、1984年に発足したパート労働者の地域組合・江戸川ユニオンが最初期のもので、全国コミュニティ・ユニオン連合会が2002年、フリーター全般労働組合が2004年、派遣ユニオンが2005年、ガテン系連帯が2006年の発足である。
古典的社会運動の主導者は富裕層やインテリ
何を「古典的社会運動」とするかは記事には記されていないが、市民革命から辿ってみても、主導者は貴族・軍人・知識人であり、貧乏な民衆ではなかった。
アメリカ独立戦争主導者のジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンも、フランス革命初期の指導者ミラボー伯爵やラファイエット侯爵も、19世紀の中南米独立革命のサン・マルティンやシモン・ボリヴァールも、ロシヤ革命のウラジミール・レーニンも、南アジアのマハトマ・ガンジーやムハンマド・アリー・ジンナーも、トルコのケマル・パシャも、中国の孫文や蒋介石や毛沢東も、ビルマのアウンサンも、インドネシアのスカルノも、キューバ革命のフィデル・カストロやチェ・ゲバラやその先駆者ホセ・マルティも、貧乏人ではなかった。
記事の筆者は、学生運動の主体を「六畳一間の風呂なし共同トイレのアパートで日がな火炎瓶を作っている」貧乏学生として戯画的に素描するにとどまっているが、実際のところ、彼らが学歴エリートで あったことを忘れてはならない。学生運動とは、図式としては、学生と国家権力の衝突であったかもしれないが、現場で起きていたのは、学歴エリートの大学生と労働者階級出身の機動隊との衝突であったとも言える。学生運動の主体を成した団塊の世代の多くは、その後、企業の正社員として日本の経済発展の中核を担い、現在、経済的に安定した老後を迎えつつある。
古典的社会運動の出発点は都市部
また、社会運動・労働運動は基本的に都市から起こる。
プロレタリアートとは、土地から引き剥がされて都市に流入した無産市民のことであり、運動を主導する有産階級であるブルジョワジー(bourgeoisie)の名は「都市」(burg)に由来する。
もちろん、農村を拠点にした運動も存在したが、ロシヤのナロードニキは農村に入るも支持を得られず失敗し、農村からの革命を目指した毛沢東やポル・ポトが辿った道は周知の通りである。
余談だが、滝川事件・ゾルゲ事件に材を取った黒澤明[監督]『わが青春に悔なし』(1946年)では、農村に入った幸枝(原節子)は、農民から手酷く拒絶される。
「戦後レジームからの脱却」という「宗教」
腑に落ちる話が、事実と合致するとは限らない。
前掲の『WiLL』2013年10月号の記事は、「分析」というよりはむしろ「戦後レジームからの脱却」というイデオロギーに基づいた「物語」だ。
前提がイデオロギーにすぎない論証は、その結論が健全とは言えず、せいぜい、そのイデオロギーを受け入れた人に限ってそような理解が可能であるという事例を提供しているに過ぎない。
ネット右翼的思考法の理念型としては有用で興味深い事例だった。
ちなみに私は、まだ何の仕事もしていない議員サンについて特に感想はありません。
※山本太郎騒動に関するおすすめリンク
◯第388回 「ジジネタの六十七 アンチ!アンチ!アンチ!」 - 桜川マキシム
※ネットラジオ◯会話(171): ■■■■■の■■
※ブログのタイトル「謙遜と謙譲の音楽」は、特定秘密保護のため伏字の模様。
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コメント
おはようございます。
1960年代から1970年代の日本の学生運動の実態を、学歴エリートの大学生と労働者階級出身の機動隊との衝突と分析されたのには思わず納得いたしました。
学ぶということは奥が深い。
投稿: 石﨑亮史朗 | 2013年11月21日 (木) 09時25分
このヒトがこねくり回してる理屈って、むしろ「小泉フィーバー」にあてはまります。都市部の無党派層は、自覚云々どころかサヨクでも何でもない。テレビなど大マスコミがプッシュすれば、どんなヒトでも当選する。逆に選挙前はメディアにほとんど無視された山本太郎の大量得票は、もっと切実な民意を現しているとしか考えられません。
まあ、でも、結局は、どんどんダメな方角に向かいつつありますなあ。朝起きてネットのニュースをチェックするのが苦痛でございますよ、ホントに。
投稿: やきとり | 2013年11月24日 (日) 20時23分
内田樹氏他、若手インターネット業界人の山本太郎氏支持層への批判が気になる。それにも繋がりがあるのでは?その批判というものが、外れているのでは?
投稿: ビフォ | 2013年11月27日 (水) 23時34分