ネタバレ編:高畑勲[監督]『かぐや姫の物語』(2013年)を観た。
◯ネタバレ編:高畑勲[監督]『かぐや姫の物語』(2013年)を観た。
※少しだけ加筆(2013年11月28日、30日)
高畑勲[監督]『かぐや姫の物語』(2013年)を観たことは、先日、拙ブログで既に触れたが、今回はネタバレ編。
腐敗したこの世界こそ愛おしい
ちなみに前回のエントリーでは、この作品を端的にこうまとめた:
- 話の構造は、ニール・ブロムカンプ[監督]『エリジウム』Elysium(2013年)の逆。
- メッセージは、鬼塚ちひろ「月光」(2000年)の逆。
高畑勲[監督]『かぐや姫の物語』(2013年)予告編
素直な物語、豊穣な細部
『かぐや姫の物語』は、一見すると薄味で直球な『竹取物語』のアニメ化に見えてしまうかもしれない。ボンヤリしていると、ただの『竹取物語』のアニメ版として何も気づかずに終劇を迎えることもできる。そのように観た人は、この映画を、退屈なおとぎ噺として斬り捨てることもできるし、作画の美しさのみをひたすら褒めることもできる。
確かに、作品の核においては『竹取物語』ストーリーをなぞっているが、細部には『竹取物語』に関する考証がふんだんに盛り込まれている。それでいて、細部が極度に肥大しているわけではない。
全体と細部の両立のために、脚本は、ほぼ原作そのままのように見えて、実は驚くほど緻密に計算されている。
しかし、誰しもいくつか引っかかるシーンがあったはずだ。たとえば、月からの迎えがなぜ阿弥陀如来なのか。そのような描写が豊穣な細部への入り口になっている。こうした細部については、キリがないので割愛する。
高畑勲がはじめてセックスを描いた映画?
さて、本題。
宮崎駿監督が彼の引退作『風立ちぬ』(2013年)で、初めてセックスを描いたことが話題になった。
そして高畑勲監督も、これまでの作品の制作期間やインターバルを考えると同じく最後の作品になる可能性のある『かぐや姫の物語』で、初めてセックスを描いているのではないかと私は解釈している。
そのシーンとは、後半の飛行シーンである。
かぐや姫と捨丸が自然の中を自在に飛行するシーンは、一義的にはこの世の生の喜びのメタファーである。
それと同時に、あのシーンは、この世の性の悦びのメタファーでもあると思われる。
作品の中盤辺りで、かぐや姫が初潮を迎えたことが描写されるが、このことは、その後のストーリーに性が関わってくることを示唆している。
逆に、序盤では、まだ幼いかぐや姫が服を脱ぎ捨てて裸で水に跳び込むシーンがある。ジャーナリストの冷泉彰彦は、「欧米圏、あるいはイスラム圏では上映に大きな制約がつく」「このままでは折角の日本を代表するコンテンツの輸出に大きな制約がつく」として、「全世界で問題なく家族向けに上映できる版」への再編集を提案しているが、あのシーンのどこか物憂げなかぐや姫は、精神的には子供と大人の過渡期にあるが、肉体的にはまだ大人の女性ではないことを示すために必要なのだと思う。
◯世紀の大傑作『かぐや姫の物語』にあえて苦言を一言 | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ついでに指摘しておきたいのは、作中で、彼女のアイデンティティーが着衣によって描き分けれられている点だ。白小袖と袴だけ(巫女さんと同じスタイル)の際は都に出る前の「竹の子」としての彼女、その上に衣を重ね着している際は都に出てからの「かぐや姫」としての彼女が表現されている。
例えば、名付の宴で、彼女の顔を見たいという貴族の手が迫った時、激情のあまり貝合わせの蛤を砕き割った彼女は、屋敷を跳び出し、衣を脱ぎ捨てながら山へ駆け戻り、その後誰もまだ足を踏み入れていない白い処女雪の上に横たわる(という夢想をする)。気がつくと、かぐや姫は御簾の中で目を醒ます。
純潔の危機に関するシーンがもうひとつある。それは、帝に抱きすくめられるシーンである。その後、かぐや姫は、魂を抜かれたような虚ろな表情で帝から逃れる。名付の宴のシーン同様、純潔の危機が正気の途絶として描かれる。
昇天するかぐや姫
話を飛行シーンに戻すと、媼(おうな)の指示で誰にも気づかれないように手配された牛車に乗って「かぐや姫」の姿で山に戻った彼女は、捨丸と再開する。5人の貴公子と帝を袖にしたかぐや姫は、ここで「竹の子」に戻り、いまや妻子ある捨丸と秘密の契りを結ぶ。
昼の野や山や湖や海の上を飛行したふたりは、途中で抱き合いながら、やがて月に届かんばかりの高みに達し、強く抱き合い、睦言とも取れる言葉を交わした後、急降下する。
衣を脱ぎ捨てて「かぐや姫」から「竹の子」に戻って飛行した彼女は、やがて牛車に乗って「かぐや姫」として都に帰って行く。かぐや姫の表情は伏せられ、帰路につく牛車だけが描かれる。
彼女が下界に興味をもつきっかけになった月の都の女性が、天女であること、人間の男と契りを結んで子を授かったこと、ふたりを汀に残して月に戻ったことを示すシーンがある。
かぐや姫もほぼ同じ道をたどったことになる。
思い返してみると、彼女が都の屋敷に初めて足を踏み入れた時に、数ある装束の中から薄衣を羽織って飛び回るように屋敷を駆け回るが、これは、かぐや姫自身も天女であることを示す伏線だったのだろう。
月へ帰る途中でかぐや姫は、地球を振り返って涙する。羽衣をまとうことでこれまでの記憶が消えているはずであるにもかかわらず。
きっとかぐや姫も、今ごろ月の都であの歌を歌っているに違いない。
※当ブログ内の関連エントリー:
◯高畑勲監督は初音ミクユーザーみたいです:「MUSIC 24/7 THU 森本千絵のエリンギとイベリコブタ」(TBSラジオ、2013年12月5日(木)20:00-22:00)
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コメント
『風立ちぬ』は、2回見ました。年末までにもう一回見るかも。1日1回ですがまだ上映中。お見逃しなく!
1.厚化粧ギャグ
五人の皇子が姫に求婚する場面で、唯一原作と違い 石作皇子が誠実な気持ちで心からの姫への想いを「一輪の野花」に託して献上。
と同時に将来喧噪の都を離れつつましいが心豊かな生活をしようと哀願する。
ところが母親が特殊メイクでブサイク女に変身し姫と入れ替わり、それを見た皇子は驚き退散する。
私は、てっきり この二人は結ばれるのか~! これが監督の新演出か~! とワクワクしたあとなので、完全にドンデン返しを食らい ポカーン状態となりました。
ただその母親の顔を見て大爆笑しました。
が、こんな吉本新喜劇みたいなギャグで笑ってていいのかと自問。
母親はチャラ男を見抜いていたとの前提なのでしょうが、梯子をはずされた感満載です。
本当は、チャラ男なのよ ということなら「石田純一or藤森慎吾」を声優にすべき。
演技面でいえば、声優上川隆也の演技は、誠実そのもので下心があるとは全く感じられない『熱演の演技』であった。
プレスコで俳優の演技の表情をうつしとったのではないのか?(注:プレスコは、声を先に収録し、作画をその演技を見ながら行うこと)
上川隆也は09年に難病の元女優と結婚した優しい人のイメージ。完全に 『ミスキャスト』 か 『演出不足』。
なぜ、この皇子だけ わざわざ原作と違う挿話をいれながら、どんでん返しをくらわすのか その意図が謎。映画全体が、なにを言おうとしているかも謎。キャッチコピーの姫の罪も謎。ようは、謎だらけ。
『8年間も脚本いじくりまわして ストーリー完全破綻 と 認定』
2.不倫礼賛
終盤での幼馴染の”捨丸”兄ちゃん(妻子あり)と姫との再会場面。
兄ちゃんは、『妻・子のことをまったく忘れ去り』 姫と抱擁し恋の炎を燃やし 実写では2分くらい延々と 二人が手に手を取って大空を飛び回るシーンが映し出される。
姫は妻子ありとは知らず罪はない。姫には、 つ み は な い 。
高畑監督が、なぜか映像化せず”隠している”場面=『取り残された妻子が、自分たちの頭の上で 手をつなぎ・抱き合い・笑いながら空を飛びまわっている『主人と不倫相手(かぐや姫)』を 心配そうな不安そうな悲しそうな顔(アップ)で見ている場面』。
高畑監督には、ぜひこの場面(同様に2分間延々と流す)を追加した『訂正版かぐや姫』を再上映願いたい。
観客の反応は、どうかわるでしょうか?
捨丸だけに夢を見させるのではなく 妻子にも夢を見させてあげてください。
『姫の罪と罰』というキャッチコピーは間違いで、『捨丸の罪と罰』。
子供には薦められません。
不倫を美化している感満載で???が頭の上を駆け巡ります。
『高畑監督、道徳観なし と 認定』
3.帝(みかど=天皇)ハーレム王
この映画の脚本は、当時の天皇が『かぐや姫』を”無理やり犯そう”として失敗。
その事が原因で月へ帰ってしまう(終)という内容。
一方原作の方は、”手紙や物の交換をして交流するという雅(みやび)な交際”となっていて 大きく様変わりしている。
『ライト』スタンドの観客からは、メガフォンがとんできそうです。
『レフト』スタンドへ、サヨナラホームランを打ってしまった。
自由な創作活動ですから、思うようにすればいいのですが・・・監督の思想は十分わかりました。
しかし個人的には少々「品」がないと思います。
キャバクラでおっさんが、おねえちゃんを口説いてる風な「のり」ですから~
この映画、海外にはもっていかない方がいいですね。
『日本』のイメージを「↓」げるのではないでしょうか・・・。
『古典を題材にしながら 古典を籠絡している と 認定』
(おまけ)
「授乳シーンでの乳房のアップ」・「子どもの半裸、あるいは裸身のシーン」は、欧米圏、あるいはイスラム圏では上映に大きな制約がつく模様。
米国では、PG13(=12歳以下の子供の観賞については、保護者の厳重な注意が必要)にするのが可能かどうかというより、不適切な内容(=R指定/17歳以下の観賞は保護者の同伴が必要)だという可能性大。
ちなみに、もののけ姫は、PG13指定。
(おまけのおまけ)
我々庶民は、日々の生活においても 仕事場においても 期限(納期)・収入(予算)にきびしく 縛られ 生活している。
高畑勲が、なぜ こんな「トンデモ糞映画」をつくったのか・・・その 深層には、期限は守らない(開発8年)、予算は知ったこっちゃない(製作費50億円)という 普通の一般社会人&人間としての常識が、完全欠落しているからであると考える。巨匠が聞いてあきれるばかり。もっと罵倒したいが、怒りまくると ”怒りんぼの高畑勲”と同類になるので これにて終了。
投稿: moon | 2013年12月 1日 (日) 22時32分
日本インターネット映画大賞運営委員会と申します。当方では第18回日本インターネット映画大賞を開催しております。もし宜しければ概要(http://www.movieawards.jp/)を読んで頂きまして投票(締切1月16日)のほど宜しくお願い致します。
投稿: 日本インターネット映画大賞運営委員会 | 2013年12月29日 (日) 21時49分