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柳澤健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」、『小説すばる』(集英社)2013年8月号〜連載中

○柳澤健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」、『小説すばる』(集英社)2013年8月号〜連載中

 

『小説すばる』(集英社)で2013年8月号から、柳澤健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」というノンフィクション作品の連載が始まっている。拙ブログのコメント欄で匿名のかたから教えて頂いた。


 

筆者の柳澤健氏は、プロレスに関するノンフィクションで高く評価されているライター。1960年生まれで、「林美雄のパックインミュージック」(TBSラジオ)をリアル・タイムで聴いていたわけではないとのこと。1974年……私はまだ生まれていません。

2013年9月17日発売の10月号で、連載3回目となる。

さっそく読んでみた。

第1回(『小説すばる』2013年8月号)

概要

当時リスナーだった沼辺信一氏(編集者で評論家……でいいのかな?)と番組との関わり、番組終了と「パック 林美雄をやめさせるな!聴取者連合」(パ聴連)結成など、リスナーの個別具体的な事例を通じて、「林美雄とパックインミュージック」の概要を浮き彫りにする趣向。

印象に残った部分

ただひとり林美雄だけが、荒井由美のデビューアルバム『ひこうき雲』を一聴して「この人は天才です!」と絶賛。"八王子の歌姫" と命名し、他の番組が無視する中、先週は三曲、今週は四曲、来週は録音したての新曲、と執拗に紹介し続けた。(p.265)

物心ついたときから遠い西洋の文物に憧れ続けてきた孤独な秀才にとって、林美雄は信用できる人物だった。(p.266)

感想など

実をいうと、第1回の主人公・沼辺信一氏のブログ「私たちは20世紀に生まれた」は既に知っていた。

私は沼辺さんのような秀才ではなかったけれど、田舎で優等生風の学生として思春期を過ごした人間の孤独みたいなものはある程度は解るつもり。私が中学生の 時ですら、今みたいにマンガやゲームの話をするだけで知識人のふりができるような時代ではなかったし、田舎にはサブカルチャーどころかカルチャーそのもの がないので、誰にでも参照可能な市民社会的なメインカルチャーの正統をなぞるしか道がなかった。やればやるほど孤独という隘路。ラジオの深夜放送を通じて知った世界は、"リアルな現実との接触をもたず、憧れと夢に満たされた脆い存在" の孤独を慰めてくれる光だった。

人の欠点を見つけて批判することは一見批評精神に満ちてた行為に見えるけれど、実際は、自分が素晴らしいと感じたものを全力でほめることのほうが勇気の要る行為だと思う。

 

第2回(『小説すばる』2013年9月号)

概要

「パック〜」という同じ番組を愛し、志を供にしているはずの「パ聴連」内部の齟齬、嵐のサマークリスマス、TBS上層部への番組存続を求める直訴とアンチクライマックス、という怒濤の展開。

印象に残った部分

※パ聴連と平川清圀・TBSラジオ編成部主事とのやりとり。

——パック二部はパーソナリティの個性を出していた。それを崩すのか。

平川 見解の相違じゃない? はっきり言って、僕は林のパックは嫌いだ。あんな独善的な放送は、社会性がないのじゃないかと思うくらい。例えば僕が何千名の署名を集めようと思えば集められるよ。「林美雄を下ろせ」と。

[……]

——聴取率重視ですか。

平川 重視はしてないけど、結局はそれしかないね。

——ハガキの数は?

平川 全然あてにしていません。聴取率一パーセントは十五万人。パック四パーセントで六十万人。一方、ハガキはせいぜい何百枚程度。六十万分の何百を気にするはずがないでしょう。

パ聴連の若者たちは呆然となった。

番組継続の要望を拒否されたことは、ある意味で予想通りだった。

しかし、あの素晴らしい林パックが、TBS内部でこれほどまでに酷評されているとは、思ってもみなかったのだ。(p.311)

感想など

後から来た世代である私は、この時代の深夜放送が放つ熱を学生運動の熱と結びつけて考えがちだけれど、この時代は、実のところ、社会から個人、政治的人間 から趣味人、学生運動から「シラケ世代」という過渡期であったことが判った。「パ聴連」内部の齟齬がそれを象徴しているように感じられた。

反権力ではあるが必ずしも政治色を前面には出さず、"自分が素晴らしいと心から思えるもの" だけを全力で支持するという姿勢が、林美雄を過渡期にオピニオン・リーダーにしたのではないだろうか。

嵐のサマークリスマスの部分は、ラジオずきなら陶然とするに違いない。当時を知らない私ですら、ちょっと目頭が熱くなった。

会場に集まったものの、お互いに言葉を交わすこともなく風雨に打たれるシャイなリスナーたち。TBSのスタジオに場所を移し、マイクもない状態での荒井由 美のピアノ弾き語り、石川セリのア・カカペラによる歌唱。ア・カペラでも、集まったリスナーの耳には演奏が聴こえていて、『八月の濡れた砂』のシーンが見 えている——オレもこの時代に東京近郊に生まれたかった。当時の石川セリを生で見たら、たぶん心臓が止まるぐらいドキドキしただろうなぁ。

 

第3回(『小説すばる』2013年10月号)

概要

林美雄アナの半生とTBSの歴史を、戦中・戦後からヴェトナム戦争にかけての日本に位置づけつつ振り返る内容。TBSの同期である、久米宏・宮内静雄アナのコメントも紹介されている。

印象に残った部分

ラジオ東京(現・TBS)初代社長・足立正の訓示

「最大の放送局よりも最良の放送局をめざす」(p.270)

感想など

林・久米・宮内の3人が同期のアナウンサーだということは知っていたけれど、採用に至る経緯が一様でないというのは知らなかった。宮内アナがもともとアナウンサー志望ではなかったというのが意外。

久米宏が「久米宏 ラジオなんですけど」(TBSラジオ、2013年9月14日(土)13:00-15:00)で、この回について言及し、内容を一部紹介している。

つづきが愉しみであります。

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