追悼 中沢啓治さん 著名人が語り尽くす『はだしのゲン』、『週刊朝日』2013年8月9日増大号
○「追悼 中沢啓治さん 著名人が語り尽くす『はだしのゲン』」『週刊朝日』2013年8月9日増大号
「追悼 中沢啓治さん 著名人が語り尽くす『はだしのゲン』」
『週刊朝日』2013年8月9日増大号
『週刊朝日』2013年8月9日増大号に、「追悼 中沢啓治さん 著名人が語り尽くす『はだしのゲン』」という記事が掲載されている。
ライムスター宇多丸も寄稿しているというので読んでみた。
一部は、朝日新聞出版ウェブサイト「dot.(ドット)」で読むことができる(本誌とは見出しが異なる)。
登場するのは以下の面々:
- 野口健(アルピニスト)
「人は大きな力に引きずられる 戦争の恐ろしさはそこにある」 - 神田香織(講談師)※講談「はだしのゲン」が代表作。
「原発事故後の福島を見てもこの国は今も変わっていません」 - 宇多丸(ラッパー)
「「ゲン」で原爆を知っている ぼくらの大きな財産です」 - 石田優子(映画監督)※『はだしのゲンが見たヒロシマ』(2011年)監督。
「つらい思いをするのは弱い者 戦争の不条理さにヒリヒリ痛む」 - こうの史代(漫画家)※『夕凪の街 桜の国』(2004)の作者。
「「ゲン」をきっかけにいろいろな原爆の作品に親しんで」 - 呉智英(評論家)
「きれいごとの平和論では触れられない現実がある」
私は、小学校の図書館で『はだしのゲン』を読んだ。
怖い漫画という印象が強かった。また、正直なところ、「絵柄が古いな」という印象はあった。
でも図書館にある数少ない漫画という理由で、読んでいる生徒は少なくなかったと思う。まさに、「小学校3、4年になったとき、うっかり手に取っちゃうところに置いて」(宇多丸)あった。
全部読破したかどうか憶えていないけれど、私がいちばん印象深く憶えているのは、呉智英の記事でも言及されている政二の話。被爆してヤケドを負ったことで親族にも疎まれている政二の身の回りの世話を、ゲンが1日3円で引き請けるという挿話。政二の体にわいたウジ虫をピンセットだったか箸だったかでひとつづつ取り除くシーンなどがあり、このことによって、ゲン自身も囃し立てられ後ろ指をさされる、というような話だったと思う。
個人的には、呉智英の記事が面白かった:
当時から「平和や反核へのメッセージ」というような政治的文脈で読まれることが多く、違和感を覚えていました。確かに原爆の悲惨さを告発していることは間違いない。とはいえ、そんな反戦、反核のアジビラみたいな単純な作品じゃない、と。
[……]
「ゲン」には人間の汚さや醜さ、不条理な衝動や現象、心の影といったことに至るまで、被爆という悲しい現実が描かれています。大江健三郎氏は「被爆者による原爆体験の民話である」と評しました。表面的な報道、政治家や識者が語るきれいごとの平和論では触れられることのない民衆の現実。それが、作品の魅力となって読む人の心を引き付けるのです。
『はだしのゲン』が連載されていたのが『週刊少年ジャンプ』だとは、恥ずかしながら知らなかった。意外。今の『ジャンプ』でこういう連載は難しいだろう。
でも、他の機会に1970年代の週刊漫画雑誌をいくつか読んだことがあるのだけれど、子供が読む漫画にしては社会派な内容・設定・モチーフのものが意外と多く、「当時の子供はこういう漫画を普通に読んでいたのか」と驚いた記憶がある。
真崎守[監督]『はだしのゲン』(1983年)原爆投下シーン
YouTubeのコメント欄で展開されている論争も興味深い。解り合うのはなかなか難しいようで。単なるグロ映像として消費している人がいるのは、率直に言って悲しい。
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