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オールナイトニッポン初代DJ、高崎一郎、死去(2013年8月10日)。

○オールナイトニッポン初代DJ、高崎一郎、死去(2013年8月10日)。

 

奥様、お嬢様が泣いて喜ぶ、ラジオ批評ブログです。

さて、高崎一郎が、2013年8月10日に亡くなったとのこと。マスコミ各社の報道で15日に明らかになった。

オールナイトニッポン初代パーソナリティの高崎一郎さん死去(msn産経ニュース、2013年8月15日)

 高崎一郎氏(たかさき・いちろう、本名・俊威=としたけ=元ラジオパーソナリティー)10日、老衰のため死去、82歳。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長女、秀子(ひでこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 昭和29年ニッポン放送入社。42年に始まった深夜ラジオ「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティーを務めた。パシフィック音楽出版(現フジパシフィック音楽出版)社長や三越の顧問も務めた。

糸居五郎・斉藤安弘・高岡尞一郎・今仁哲夫・常木健男と並んで、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)土曜日を担当した初代DJ陣のひとりで、Herb Alpert & The Tijuana Brass, "Bittersweet Samba" (1965) をオープニング・テーマに選んだのは彼だと言われている(その経緯については諸説ある)。


 

高崎一郎はニッポン放送の元アナウンサーだとばかり思っていたのだけれど、実際には元ディレクターとのこと。ロンドン生まれで、アメリカで高等教育を修了したバイリンガルでもある。

ラジオ聴きの端くれとして、彼については知識としては知っているけれど、世代的には縁がない。高崎一郎といえば、専ら「レディス4」(テレビ東京)の人だ。でも、こちらも観たことはない。私にとっては放送史上の人物。

とはいえ、何と言っても「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)初代DJ陣のひとりでありであり、ディスク・ジョッキーというスタイルやパワー・プレイを初めて日本に導入した、ラジオ界のレジェンドだ。ちなみに、日本のテレビ・ショッピングの始祖でもあり、放送ビジネスの歴史においても重要な人物だ。

高崎一郎の略歴等については、下記のポッドキャストがコンパクトにまとまっていると思う:

週刊マンデーイレブン | FMらら : 第55回/2013年8月19日放送
※高崎一郎の話題は上記サイトの音源00:12:00あたりから。
ちなみに、私は名古屋のラジオ事情を、私は専らトッピー氏のウェブサイトで仕入れております。
トッピー氏、声がモーリー・ロバートソンに似ているような気がする。いい声だなぁ。

合掌。


あれがこれだ!オールナイトニッポン1周年ライブ
 

「レディス4」(テレビ東京、1995年10月6日(金)16:00-16:52)
 

※関連リンク:

1967(俺たちのオールナイトニッポン ニッポン放送)

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謹んでご冥福をお祈りいたします。

投稿: 石崎亮史朗 | 2013年8月28日 (水) 11時16分

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