『現代思想』特集:フェリックス・ガタリ 2013年6月号 vol.41-8(青土社)
○『現代思想』特集:フェリックス・ガタリ 2013年6月号 vol.41-8(青土社)
もうとっくに既刊になってしまったけれど、『現代思想』2013年6月号 vol.41-8(青土社)の特集がフェリックス・ガタリ(Félix Guattari)でした。
ガタリはフランスの哲学者・精神分析学者で、ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze)との共著、
で最も知られているかもしれません。個人的には『千のプラトー』のほうが好き。
ちなみに、『現代思想』2013年6月号 掲載の鼎談によると、ガタリの単著では
- 『分子革命』La révolution moléculaire(1977; 1980年)
- 『闘走機械』Les années d'hiver : 1980-1985(1985年)
- 『三つのエコロジー』Les trois écologies(1989年)
が重要とのこと。私としては、最初に彼の遺作である(そして読み易い)『カオスモーズ』Chaosmose(1992年)を読んでから他の作品に取りかかるというのもひとつの手かもしれないと思います。
粉川哲夫「ヴァーチャル・エコロジー」pp.60-64
ガタリ 二人[=ガタリとフランコ・"ビフォ"・ベラルディ]は頭によぎるどんなことでも、いいたいほうだいを二時間にわたって即興でしゃべりまくった。参加者はみんな満足でした。[……]彼[=ラジオ技術者]は「こんなでたらめな放送をやるんだったら番組を組むに値しない。これからはちゃんとしたプロフェッショナルな放送にしてほしい」というのです。
ラジオ・アリーチェの友人は、それをきいて、「君はラジオ・リーブルの何たるかが全然わかっていない」と言いました。(p.63)
当「ラジオ批評ブログ」としては、何と言っても、ガタリは自由ラジオの人であります。このテーマについては、粉川哲夫による論稿が掲載されています。
「メディア・エコロジー」という言葉は、ガタリらに端を発する「文化と社会の抵抗的〝汎用理論〟」を指す用語。これに対して、テレンス・モランが使い始め、メディア産業の後押しとともに前進しつつある「メディア・エコロジー」は、巨大産業と政府のメディア独占下で、強いもの勝ちの自由競争主義を基礎付けるものになりかねない危うさを孕んでおります。この矛盾を解消する道を、ガタリの「ヴァーチャル・エコロジー」という概念のなかに確認し、「自由ラジオ」を例に取って説明する——という感じの内容です。
ここでいう「ヴァーチャル」は、もはや日常語のひとつとなっている「ヴァーチャル」とは若干印象が異なるかもしれません。
ガタリの言う「ヴァーチャル」とは、「潜在的」であり「仮想的」であり、しかもそのどちらか片方でもないような、そういう意味を含んでいます。
ガタリの他の著作に、その「ヴァーチャル」という概念が解りやすく説明されています:
そこで関係してくるのは参照の宇宙全体ではなく、生産されると同時にその所在を割り出すことができ、生み出されたばかりでも元来そこにあり、まるで無窮の過去から存在したかのような非物体的な実在の領域です。そしてそれこそが宇宙に特有の逆説なのです。つまり、すべての宇宙は創造された瞬間に此性として与えられ、言説の時間をすり抜けるということ。宇宙とは瞬間と瞬間のはざまに潜む永遠性の焦点のようなものです。
自由ラジオとヴァーチャルなものとの関係は、下記のパフォーマンス・アートに関する箇所を参照するとよいかもしれません。上に引用した文章の意味が解らなかった人も、こっちを読んで読み直すと解るかもしれません:
パフォーマンス・アートは、一瞬を、異様であると同時に親しいものである宇宙が出現する目も眩むような場に変えます。パフォーマンス・アートの優れた点は、網状に編み込まれた日常的記号のあいだから、時間、空間、意味を無化する強度的次元を抽出させるものを折畳む作業を、極限まで推し進めることにあります。私たちは存在やかたちが発生する場に、近代における伝統、様式、流派といったものを含め、支配的な冗語的関係のなかに落ち着く以前のかたちが誕生する場に立ち会わされるのです。しかしパフォーマンス・アートは原始的な口唇性への回帰というより、もろもろの機械作用、脱領土化された機械性の途に向けた前向きの逃走、これら変身する主体感を生み出しうるもののように見えます。[……]より一般的に言って、もろもろの観点を美的にずらそうとすればいつも、表現を構成するものを多声的に増加しようとすればいつも、現行の諸構造や諸規範をあらかじめ取り壊し、感覚的質料に向かうカオスモーズ的な投身が必要になります。
○フェリックス・ガタリ『カオスモーズ』(河出書房新社、2004年)pp.143-144
解りやすかったでしょう?(笑) 「折畳む」などの用語は独特で慣れないと何を言っているか解りづらいですが、「もろもろの機械作用、脱領土化された機械性の途に向けた前向きの逃走」みたいなフレーズはカッコいいっすよね。
実は、ある日本の有名人の言葉の中に、ガタリと似たような思想を見出すことができます。これならきっと解りやすいはずです:
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
田中泯「時代と添い寝しないカラダ」pp.106-112
ラジオとは関係ありませんが、同じ『現代思想』2013年6月号には、ダンサー・田中泯のインタヴューも掲載されています。ガタリと田中泯は古い友だちなんですね。山田洋次[監督]『隠し剣 鬼の爪』(2004年)に出ていた、超絶カッコいい剣の師匠と言えば、判る人もいるかもしれません。
田中泯の知性と感性に感嘆すると同時に、このインタヴューがドゥルーズ=ガタリの思想(プラトー、リゾーム、横断性……)の平易な概説にもなっているのでおススメです。
※当ブログ内の関連エントリー:
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