長谷川三郎[監督]『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(2012年)を観た。
○長谷川三郎[監督]『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(2012年)を観た。
ようやく、長谷川三郎[監督]『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎』(2012年)を観た。
同作は、
- 第67回毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞
- 2012年度第86回キネマ旬報ベスト・テン第1位(文化映画)
- 2012年度日本映画ペンクラブ文化映画ベスト1
などを受賞。
長谷川三郎[監督]『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(2012年)予告編
市民による上映会
去年の夏あたりから劇場公開が始まったが、機会を逸し続けてきた。現在は、劇場で観ることが難しくなっている。
劇場公開が一段落してからは、自主上映会が日本各地で行われている。世田谷区の烏山区民センターで観ることができると知って出かけてきた。1日限りの上映。
烏山区民センター
区民センターの掲示板
市民活動家の皆さん主催による手づくりの会で、「暑くないですか?」「隣との間隔、狭くないですか?」など、心遣いの行き届いたイヴェントだった。
『ニッポンの嘘』
報道写真家・福島菊次郎は、「問題自体が法を犯したものであれば、カメラマンは法を犯しても構わない」という立場で、一貫して反権力の立場で現場に駆けつけ、国家の「嘘っぱちの嘘っぱち」をカメラでえぐり出してきた報道写真家。右手の指は、カメラの形に沿って変形している。
原子爆弾が投下された後しばらくして広島に入り、原爆症におかされた被爆者を取材。彼から託された「仇を取ってくれんか」という言葉が、彼の写真家人生の原点。
その福島氏の人柄に惚れ込んだ長谷川三郎監督が、福島氏に密着取材。彼がこれまで撮影した写真を織り込みつつ、広島から福島まで、その写真家人生を紹介する内容。
「平和都市広島も嘘っぱち」
なかでも印象的だったのは、福島氏の「平和都市広島も嘘っぱち」という言葉。思わずハッとした。
そこはかとなく理解してはいるものの、私には「平和都市広島も嘘っぱち」と言い切る勇気がない。反権力が板に付いていないせいだろう。「平和都市広島」が帯びる倫理的脅迫に言葉を呑み込んでしまうのだ。
被爆地広島が平和都市ヒロシマへと復興・整備されてゆく過程で、原爆被害の痕跡が隠蔽されていると言う。例えば、スクリーンに映し出される広島市・基町には、かつての「原爆スラム」の面影は欠片も残っていない。現在の広島は福島氏の取材対象にならないのだとか。カメラを向けても嘘が写真に写らないからだとのこと。
現在、福島氏は「写らなかった戦後」という一連の著作に取り組んでいる。
「きずな話法」
そこで、ふと東日本大震災以降の日本に思い至る。
私たちは被災した人たちに、まるで乳幼児に接するかのような、平易で当たり障りのない生温い言葉で語りかけてはいなかっただろうか? そして、無縁社会はどこへやら、きずな、きずなの大合唱。
もちろん、こうした傾向は、被災した人びとをいたわる善意によるものであることは承知している。そして、そのこと自体には、この社会も捨てたものではないと思わせる側面がないわけではない。
しかし、地獄への道は、善意で敷きつめられている。
被災者・非被災者を問わず、表象の限界を越えた震災の衝撃は、人びとの思考を停止させた。その虚を衝いて、「きずな話法」の津波が、批判精神を洗い去った。
<原ファシズムは「新言語」(ニュー・スピーク)を話します。>[……]ナチスやファシズムの学校用教科書は例外なく、貧弱な語彙と平易な構文を基本に据えることで、総合的で批判的な思考の道具を制限しようと目論んだものでした。
「きずな話法」も、ニュー・スピークの一種だろう。災害ユートピアのむこうに、もうひとつのディストピアの陰が一瞬チラリと見えた。
被災した人たちは、新しい生活を軌道に乗せることで手一杯だろう。大きな被害を被らずに済んだ者たちが、言葉を研ぎ澄ませて、「仇を取る」必要があるのだと思う。
福島菊次郎登場!
上映終了後、監督を交えたトーク。しばらくして、福島菊次郎氏が到着。
撮影不可だろうと思い、例によって場内スケッチの準備をしていたら、聴衆が一斉にカメラで撮影し始めたので、私も思わず撮影。
福島菊次郎氏、到着。
トーク開始。
福島氏と長谷川監督
鬼気迫る写真の印象とは異なり、目の前に現れた福島氏の柔和さは、まるで仙人のようだった。
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コメント
こんにちは。
今回の記事も拝読いたしました。
投稿: 石﨑亮史朗 | 2013年4月14日 (日) 14時56分