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「箱から声が聞こえる!ラジオを恐れた大正人たち」、素朴な疑問探求会[編]『明治・大正人の朝から晩まで』(河出書房新社 、2008年)

○「箱から声が聞こえる!ラジオを恐れた大正人たち」、素朴な疑問探求会[編]『明治・大正人の朝から晩まで』(河出書房新社 、2008年)

 


素朴な疑問探求会[編]『明治・大正人の朝から晩まで』
(河出書房新社 、2008年)

 

素朴な疑問探求会[編]『明治・大正人の朝から晩まで』(河出書房新社 、2008年)を読んだら、いちばん最後にラジオについての記述があった……というより、ラジオについて書いてあると知って買ってみた。たった2ページ弱だったけど。

以前このブログで、日本初のラジオ放送について話題にした:

放送記念碑(東京都港区芝浦3-3-6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)(当ブログ内)

前掲書によると、その放送初日のタイムテーブルはこんな感じだったようだ:

  1. 第一声(9:30-)
  2. 天気予報
  3. 海軍軍楽隊の演奏
  4. 記念式典(10:00-)
    後藤新平総裁挨拶
  5. 音楽
  6. ラジオ劇

送信機はアメリカ製の電信電話用送信機を放送用に改造したものだったとのこと。

面白い記述もある:

本放送開始にさいしてのラジオの番組広報は、銭湯や床屋などの人の出入りの多い場所に張り出されていたが、やがて新聞にラジオ番組欄が設けられる。

これは当初、ラジオニュースの速報性に売り上げが落ちることを心配していた新聞各社だったが、ラジオ欄を載せた読売新聞が売り上げを伸ばしたため、各社が追随したものだった。[……]

新しいメディアの登場は既存メディアにとって脅威となるけれど、何とかうまくやっていく方法はありそうだ。いつの時代もそうしてきた。

最後に、ひとつ指摘を。

東京・芝浦にあった東京高等工芸学校(現在の東京工業大学)の校内から放送され[……]。

という記述があるが、正確には、東京高等工芸学校は現在の千葉大学工学部であり、東京高等工芸学校跡地にあたる場所は東京工業大学附属科学技術高等学校(東京工業大学の施設を一部内包)。

※当ブログ内の関連エントリー:

放送記念碑(東京都港区芝浦3-3-6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)

萩原朔太郎「ラヂオ漫談」(1925年)

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