園子温[監督]『希望の国』(2012年)を観た。
○園子温[監督]『希望の国』(2012年)を観た。
※ご指摘を受けて加筆(2012年12月27日)
だいぶん前の話になるけれど、2012年10月末あたりに、園子温[監督]『希望の国』(2012年)を観た。ヒューマントラストシネマ有楽町で観賞。
先日の衆議院議員選挙で原発の再稼働が圧倒的多数で承認されたのを受けて、今さらながらこの話題。
園子温[監督]『希望の国』(2012年)予告編
東日本大震災、福島の原発事故から数年後の近未来、「長島県」で再び地震と原発事故が起きたという設定の話。放射能に過剰な反応を示す妊婦、立ち退きに応じない酪農家の老人など、様ざまな人びとの反応や選択を描いた群像劇。
どことなく、エミール・クストリッツァ監督の作品を彷彿とさせるところもある。
さて、作品の感想をひとことで言うと、メッセージは伝わったけれど、映画としてはまずまずという感じ。
現地で被災者に取材したエピソードが盛り込まれていると聞いていたけれど、むしろ、リアルな場面にリアリティーが乏しかったように思う。特に、被災者が事情を知らされずにバスで避難させられるシーンや、ガソリン・スタンドのシーンなどは再現ドラマのようにすら見えた。
リアルな凄みに欠けているのは、幻想的なシーンが理由ではない。路上を彷徨う牛のシーンや、特に、夏八木勲と大谷直子の盆踊りからは強い印象を受けた。
庭の中に線が引かれ、線の向こうは立入禁止という設定も、一見荒唐無稽だが、距離で線引きされ帰宅が制限されているという福島県の状況の縮図としてよく機能している。
むしろ、幻想的なシーンのほうに独特の凄みと真実味があったとすら言える。幻想的なシーンにリアルなシーンが負けてしまっているという感じ。
もちろん、福島県の双葉町などの被災地でロケを行っていて、被災の様子が時をおかず生々しく作品に収められているという点は意義深い。
私が映画を観に行くと、観客は多くの場合男性で、20代後半や30代以上が多い。でも、今回は珍しく若い女性の客も多かった。
ベタな別れのシーンで泣いている客が多かったけれど、私は、でんでん演ずる鈴木が避難所で息子に言う「いい男だ」という台詞にグッときた。
大災害のあと、「復旧ではなく復興」という言葉が度たび聞かれる。当初は通念の虚を衝く、それなりに新鮮な言葉だったと思う。しかし、今となっては完全な紋切り型で、内実をもたないお題目になりつつある。メディアでこの言葉が登場すると、正直言って鼻白むことすらある。
夫の両親と別れて避難する途中、神楽坂恵演ずる身重のいずみは、村上淳演ずる夫・洋一と抱き合いながら、「愛があれば大丈夫」とつぶやいて涙をこぼす。
私たちは原発事故前に時間を戻すことはできず、起きてしまった原発事故から逃げることもできない。私たちは変ってしまった世界を生きてゆかなければならないのだ。
大谷直子演ずる智恵子には、最後に「でも、やっぱり死にたくない」と言ってほしかったなぁ。

※加筆(2012年12月27日)
そのしおんさんからただいたコメントで、庭のボーダーラインは事実に基づく表現とご教示頂きました。ありがとうございます。
園監督もインタヴューで次のように語っています:
そしてある日、福島第一原発から半径20kmの警戒区域ギリギリの場所で暮らす鈴木さんという方に偶然出会いました。ボーダーラインによって真っ二つにさ れた庭の圏外の部分には花が咲き、圏内の部分は枯れている状態で、思いもつかないところに語るべき物語があることに気付かされたんです。そして、このボー ダーラインを映画の舞台にすることにしました
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コメント
>庭の中に線が引かれ、線の向こうは立入禁止という設定も、一見荒唐無稽だ
本当の話ですよ。取材したまま。
投稿: そのしおん | 2012年12月26日 (水) 20時15分