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萩原朔太郎「ラヂオ漫談」(1925年)

○萩原朔太郎「ラヂオ漫談」(1925年)

 

先日、放送記念碑について話題にした。1925(大正14)年3月22日9:30に、東京高等工芸学校内に設けられた東京放送局仮送信所から日本初の放送電波が発せられたことを伝える記念碑。

放送記念碑(東京都港区芝浦3-3-6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)(当ブログ内)

その際、放送開始間もないラジオ放送を聴いた萩原朔太郎の感想を、彼のエッセイ「ラヂオ漫談」(1925年)から引用した。初出は『中央公論』大正14(1925)年12月号。

萩原朔太郎 ラヂオ漫談(青空文庫)

今回は、朔太郎の「ラヂオ漫談」を詳しく読んでみることにする。

朔太郎 meets ラヂオ

彼のラジオとのファースト・コンタクトはこうだ:

 東京に移つてから間もなくの頃である。ある夜本郷の肴町を散歩してゐると、南天堂といふ本屋の隣店の前に、人が黒山のやうにたかつてゐる。へんな形をしたラツパの口から音がきれぎれにもれるのである。

「ははあ! これがラヂオだな。」

と私は直感的に感じた。しかし暫らくきいてゐると、どうしても蓄音機のやうである。しかもこはれた機械でキズだらけのレコードをかけてる時にそつくりで、 絶えずガリガリといふ針音、ザラザラといふ雑音が響いてくる。何か琵琶歌のやうなものをやつてるらしいが、唱に雑音がまじつて聴えるといふよりはむしろ雑音の中から歌が聴えるといふ感じである。

ここに出てくる肴町(東京府東京市本鄕區駒込肴町)は、現在の東京都文京区向丘のあたり。


駒込肴町
 

南天堂書房は現在も営業していて、現在の住所では文京区本駒込1丁目に該る(地図)。

南天堂の隣には、レトロなレジが印象的な古い雑貨店がある。この店がラジオの置いてあった「南天堂といふ本屋の隣店」だったらいいのになと夢想したりして。


南天堂書房周辺
 

南天堂書房周辺
 

朔太郎は、「ラヂオといふものを、大変ふしぎなもの、肉声がそのまま伝つてくるものと思つてゐた」という。Hi-Fi 志向。まぁ、当時はさぐり式の鉱石ラジオだろうから、それは期待過多というもの。たぶん当時はこんな感じの受信機で聴いていたはず:

大正14年 ラジオ仮放送 - 大正村のブログ
タマちゃんは見てるよ » 聞こえくる ラッパの向こうに 大正ロマン::メンター・ダイヤモンド

後に朔太郎は「親戚の義兄に当る人」にラジオを造ってもらう:

これはラツパで聴くのでなく、受話機を耳に当てて聴くのである。見た所では、板べつこに木片をくつつけたやうなものであるがこれで聴くと実によくきこえる。不愉快な雑音も殆んどなく、まづ実の肉声に近い感じをあたへる。これならばラヂオも仲々善いものだ。前に悪い印象を受けたのは、拡声機のラツパで聴いた為であることが、ここに於て始めてわかつた。それ以来、往来に立つて聴いてゐる人を見ると、何だか憐れに思へてならない。ラヂオは受話機で聴くに限るやうだ。

朔太郎はヘッドフォン派。自分のラジオを手に入れてご満悦のご様子。それにしても、「板べつこに木片をくつつけたやうなもの」というところが、夏休みの自由研究みたいだけれど、「不愉快な雑音も殆んどなく、まづ実の肉声に近い感じをあたへる」のであればなかなかの力作。

ちなみに当時のラジオの値段は:

米1斗(約14kg)が4円50銭前後の価格の時代、最低でも受話器なしの鉱石受信機が15円、受話器もやはり1個10円程度の価格だったという。

鉱石受信機(「ある自分史」内)

ラジオとカフェ文化

上京間もない朔太郎、以前からラジオに憧れていようで、ラジオを求めて色んなところに出かけている:

一度などは、浅草の何とかいふ珈琲店(カフェ)にラヂオがあるといふので、わざわざ詩人の多田不二君と聴きに行つた。前の南天堂の二階へも、ラヂオをきく目的で紅茶をのみに行つた。しかし運悪くどこでも機械が壊れてゐたり、時間がはづれたりして、いつも空しく帰つてきた。

「浅草の何とかいふ珈琲店(カフェ)」はどこなんだろう? 気になる。

「時間がはづれたり」ということは、放送は断続的に行われていたということだろうか? 別の箇所には、

 受話機を用ゐるラヂオの不便は、放送の始まる時刻が、外部からわからないことである。もちろん新聞で時間は予告されてゐるが、絶えず時計に気をつけてゐ るわけに行かないから、一寸油断してゐるまに時間がすぎて、聞かうと思ふ講演が終つて居たり、音楽が曲の中途から聴えたりする。これはどうも不都合である。何か旨い仕かけで、放送開始と共に合図のベルでも鳴るやうに出来ないだらうか?

ともある。

件の南天堂書房2階のカフェは、『帆船』八月號(大正11年8月1日発行)掲載の広告によると、「本店獨特のシトロンデイー」(citron tea?)が売りで、「部屋の卓子の上には、涼しい西洋草花が置いてあり」「おすゝめに依つてめづらしい飮料水をも調製いたします」とのこと。なかなかハイカラだ。3階は出版部だったらしい。

南天堂書房 - 雀隠れ日記
※『帆船』八月號(大正11年8月1日発行)に掲載された南天堂書房の新築移転広告を紹介。

カフェには特に名前はなかったようで、前掲広告には「階上喫茶店」とある。しかし、岡本綺堂の日記には「カフヱー南天堂」とあるそうで、往時の文士たちはそう呼んでいたのかもしれない。

[カフェー]カフェー南天堂という名の南天堂書房の階上喫茶部(2010-07-30 - 神保町系オタオタ日記)
※『岡本綺堂日記』の一節を紹介。

朔太郎は新し物ずき

朔太郎は新し物ずきだったようで、ちょっと自慢も交えつつこう記している:

 いつたい僕は、好奇心の非常に強い男である。何でも新しいもの、珍しいものが発明されたときくと、どうしても見聞せずには居られない性分だ。だから発声活動写真とか、立体活動写真などといふものがやつてくると、いちばん先に見物に行く。ジヤヅバンドの楽隊なども、文壇でいちばん先にかつぎ出したのは僕だらう。今の詩壇でも、たいていの新しい様式を暗示する先駆者は僕であり、それが新人の間で色々に発展して行く。

朔太郎によれば、これに対して室生犀星は「ラヂオなんか俗物の聴くもの」と嫌っていたとのこと。詩人に対して、小説家は「新奇なものは、美として不完全」とみなして嫌う審美的傾向(「共通の趣味」)があるというのが朔太郎の見立て。

朔太郎は洋楽ずき

朔太郎は洋楽ファンだった模様:

ただ僕の好きなものは、唯一の音楽あるばかりだ。それも義太夫や端歌の如き、日本音楽はさらに解らず、ただ西洋音楽が好きなだけだ。これも「解る」といふ方でなく、気質的に「好き」といふだけである。

しかし、演奏会の「芸術的厳粛味の気分」が「厭やでたまらぬ」朔太郎。

彼によれば 「音楽の芸術的意義」は、「美しい旋律や和声からして、快よい陶酔と恍惚とを求める」ことであり、

人々は音楽に対して、もつと楽なフリーの見解をもつて好いのだ。日本で真に音楽の解つてゐる人々は、あの演奏会に集まるハイカラの青年や淑女でなく、実は市井でハーモニカを吹いてる商店の小僧たちである。日本における西洋音楽の健全な将来は、あの小僧たちの成長した未来にある。もしくは浅草のオペラにあつまる民衆の中にある。彼等だけが、本当に音楽をエンジヨイし、音楽の本質を完全に知つてゐるのだ。文化主義的音楽愛好家などは、時代のキザな流行熱で鹿鳴館時代のハイカラの如く、何の根柢もありはしない。

ポピュリズムに逃げたなという感じがしなくもない。音楽が「解る」人と「文化主義的音楽愛好家」を一見止揚しているように見えるけれど、案外凡庸なまとめ。

ちなみに、

[……]私の大好きなのは、日比谷公園における公衆音楽会である。あれだけは窮屈な空気がなく、実に民衆的で気持ちがよくきける。

今朔太郎が生きていたら、野外フェスずきだったに違いない。

音楽大衆化装置としてのラジオ

ここでラジオが登場する。

そこでラヂオのことを考へたとき、こいつは好いなと思つた。ラヂオの放送音楽なら、イヤな演奏会に行く要もなく、家にゐて寝ころび乍ら聴いてられる。演奏中に酒を飲まうと煙草を吸はうと随意である。もし事情が許されるならば、女を抱き乍らシヨパンのアンプロンプチユを聴くことも自由である。さすがにこれでこそ、ラヂオは文明の利器である。この点だけでも、ラヂオがどれほど民衆に悦ばれてゐるか知れない。

朔太郎は、音楽を「もつと楽に、フリーなゆつたりとした気持ちで聴」くことのできる装置として、ラジオという文明の利器に期待していたようだ。

それにしても、「女を抱き乍らシヨパンのアンプロンプチユを聴くことも自由である」——ベタ過ぎる想像力、逆に童貞っぽい。


Frédéric Chopin, "La Fantaisie-Impromptu
en do dièse mineur, op. 66 (Posth.)"
jouée par Artur Rubinstein

  

そして、締めの言葉は:

放送曲目についても所感があるが、紙数がないから止めにする。

今も昔も、洋楽ファンはメンドクサセぇな。


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