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放送記念碑(東京都港区芝浦3-3-6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)

○放送記念碑(東京都港区芝浦3-3-6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)

 


 

放送記念碑(東京都港区芝浦3−3−6 東京工業大学附属科学技術高等学校外)は、1925(大正14)年3月22日9:30に日本初の放送電波がこの地から発せられたことを伝える記念碑。最寄駅はJR田町駅。


JR田町駅
 

駅構内のモザイク壁画
駅の近くに西郷隆盛と勝海舟が会見した場所がある。
 

放送記念碑へは芝浦口(東口)から
 

東京工業大学附属科学技術高等学校
 

行ってみたら、記念碑がなかなか見つからなかった。

芝浦口(東口)の階段を下りると右手に東京工業大学附属科学技術高等学校が見える。高校の周囲をしばらく探してから「もしや」と思い駅に取って返すと、階段の奥、同校の北の角、線路ギリギリのところにひっそりと立っていた。同校の敷地内ではあるが構内ではない。かつてはバス通り(芝浦運河通り)沿いにあったらしい


 

放送記念碑
 

記念プレート
 

芝浦運河通り沿いの塀
かつては壁の色が違う所放送記念碑があったようだ。このサイトに掲載された写真で確認できる。
 

東京放送局(現在のNHKラジオセンター)が、1925(大正14)年3月22日9:30、東京高等工芸学校内に設けられた仮送信所からラジオの第一声を放送した。放送周波数800kHz、出力約220W、コール・サインは現在と同じJOAK。

記念碑を見て初めて知ったのだけれど、仮放送所が設けられた場所は、同校の図書室とのこと。

第一声は京田武男アナウンサーによる、

アーアー、聞こえますか。

JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します。

詩人の萩原朔太郎は、当時のラジオをこう評した:

 東京に移つてから間もなくの頃である。ある夜本郷の肴町を散歩してゐると、南天堂といふ本屋の隣店の前に、人が黒山のやうにたかつてゐる。へんな形をしたラツパの口から音がきれぎれにもれるのである。

「ははあ! これがラヂオだな。」

と私は直感的に感じた。しかし暫らくきいてゐると、どうしても蓄音機のやうである。しかもこはれた機械でキズだらけのレコードをかけてる時にそつくりで、 絶えずガリガリといふ針音、ザラザラといふ雑音が響いてくる。何か琵琶歌のやうなものをやつてるらしいが、唱に雑音がまじつて聴えるといふよりはむしろ雑音の中から歌が聴えるといふ感じである。

 ラヂオといふものを、大変ふしぎなもの、肉声がそのまま伝つてくるものと思つてゐた私は、この不自然な器械的の音声を、どうしてもラヂオとは思へなかつた。

私の記憶が確かであれば、初放送の音源は残っていないはず。TBSラジオの50周年特番で、パックンマックンがそう紹介していた記憶がある。


1925(大正14)年のラジオ番組表
『朝日年鑑』大正15年(朝日新聞社、1926年)
 

放送記念碑の側面には、

 人間は真理を求めて永遠の行進を続ける。

 大正十四年三月二十二日、午前九時三十分、この一隅から発せられた、「JOAK」の放送電波は,ここに三十年を経て,日本全土を覆い,広く世界を結び、今やまさに、聴く放送から視る放送えと画期的飛躍を遂げるに至った。 このときこの地に立って、我々は、そぞろに先人の情熱を想起せずにはいられない。 この情熱は時空を超えて、我々と共に生きつつあり。更にあとに続く人々の中に永久に躍動して、人類の幸福と社会の進歩とに貢献するであろう。

 昭和三十年三月二十二日 ゆかりの地において当時をしのびつつ 日本放送協会会長 古垣鐡郎 識

とある……らしいけれど読みづらくて判らなかった。

ちなみに、演奏所・送信所は、次のように変遷:

また、東京高等工芸学校は、1945(昭和20)年5月に戦災で校舎が全焼し、千葉県の松戸市に移転。現在の千葉大学工学部に該る。現在記念碑のある東京工業大学附属科学技術高等学校とは異なる沿革をもつ学校。

実は都内にもうひとつ放送記念碑があるのだけれど、これはまたいずれ。

※参考:

放送記念碑(港区産業観光ネットワーク MINATOあらかると 観光情報 港区観光データベース)

発祥の地コレクション/放送記念碑

東京都港区芝浦3-3-6 - Google マップ
 ※Googleストリートビューによる放送記念碑

港区 補-09(でぃすかばー・とうきょう 歩いて見ました東京の街)
 ※移設前の放送記念碑の写真を掲載。

Google

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