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上杉隆が Twitter で紹介していた『ニューヨーカー』の記事を翻訳しました(4):Evan Osnos, "Aftershocks: A nation bears the unbearable." The New Yorker, March 28, 2011

○上杉隆が Twitter で紹介していた『ニューヨーカー』の記事を翻訳しました(4):Evan Osnos, "Aftershocks: A nation bears the unbearable." The New Yorker, March 28, 2011

先日訳した The New Yorker の記事、Evan Osnos, "Aftershocks: A nation bears the unbearable." The New Yorker, March 28, 2011の続き。

Letter from Japan, Aftershocks: A nation bears the unbearable. by Evan Osnos(Japan After the Earthquake and Tsunami : The New Yorker)(元記事、英語)

上杉隆が登場。TOKYO FM での特番の様子を取材。パソコン、買い代えたほうがいいんじゃ?

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様々な余震
エヴァン・オウスノス

(4ページ目)

岡本は立ち上がって部屋をぐるぐる歩き始め、積み上げられた紙の束をめくって覗き込んだが、話を止めなかった。「日本は2世代にわたって幸福なまどろみの中にいた」と彼は言った。「われわれの生活は非常に快適だったし、内向きになってしまった。私たちは競争の必要性を忘れてしまい、その間、多くのトップの地位を中国や韓国の企業に明け渡してしまった」。彼は立ち止まってデスクから電話をかけた。積み上げられた雑誌の下から揺れが起こると、疲れたように肩をすくめて、電話が切れてしまったことを明かした。「私たちは原子炉の危機にいまだに直面しているので、この様なことを言うのは直訴尚早だが、おそらく最終的には、この危機意識が多くの日本人の背中を押すことになるだろうし、われわれは具体的なゴールがあった60年代70年代の強さを回復するだろう。おそらく日本経済は急降下するだろう。しかし、その後われわれはV字回復するだろう」。

私は、以前に聞いた、より見通しの暗いシナリオに言及し、それまで健康に見えたが突然倒れて臀部が壊死し全く回復しなかった年配の親戚と日本の場合を比較した。彼は首を振り、災害とこれに先行する経済の停滞とを区別した。「いま、われわれには不可避の課題が課されている。リーダーシップを除いては、われわれは大丈夫だ。今回の件は過去20年の間にこの国を率いた政治家に責任がある」。

彼はその日、東京の有力者たちに電話をしていた。彼は話を止め、しばらくテレビに耳を傾け、眉をひそめた。原子力危機への対応をめぐる首相と東電とのあいだの確執がますます伝えられるようになった。さらに、各国大使館は、日本政府は原子力問題に関して信頼できる情報を共有する能力も意志もないようだと不満をこぼした。オーストリア大使館は、東京から大阪に避難すると言った。フランス大使館は、自国民に南への移動か、フランスへの帰国を勧告した。アメリカ大使館は、アメリカ人に福島の原発から50マイル(80km)以内のエリア——これは日本が命じている避難勧告エリアの4倍の範囲だ——からの避難を命じた。その後、アメリカの高官は、放射能漏れの脅威は日本政府が報告しているものよりもはるかに高いと結論づけた。岡本は、私が話した多数の人びとと同様に、日本の政治的リーダーシップに失望していた。「総理は、不幸なことに、東電相手に吠えている。彼は命令と支持を出すべきだ。今は彼らを激励する時だ。なぜなら国民の運命を彼らが握っているからだ」。

再び電話が鳴り、核の危機の詳細について岡本は数分話した。ヘリコプターは、発電所を目指して水を運んでいた。「空中からの水の投下は役に立たない」と彼は電話の向こうの人物に言った。「原子炉を冷やすためには、われわれは消防艇を使わなければならない。それしか方法はない」。

彼は私に向き直り、日本の未来という課題に話を戻した。「私は1945年の生まれだ」と彼は言った。「私が育った頃には、目指すべき具体的な黄金郷があった、アメリカ合衆国という名の黄金郷が。あなたも、港町でアメリカに住む家族の養子になる女の子たちの歌[訳註:「赤い靴」と思われる]を聴いたことがあるだろう。そこらじゅうにGIがいて、チョコレートや漫画の本をくれた。アメリカは天国に見えた。私が言っているのは、全く異なる世界が併置され、それが、日本人に頑張って目指すべき非常に具体的な心理を与えたということだ。私たちは焼け跡から立ち上がる努力をしていた。人びとの暮らしは貧しかったが、希望があった」。

岡本は次のように続けた。「産業施設の再建が必要だ。もし町ひとつやふたつの話だったら、もちろん、人びとは町を出るだろう。しかし、これは沿岸約150kmに渡る話だ。これを放棄することはおそらく出来ないだろう」。

「しかし、リーダーたちに再建できるだろうか?」と岡本は言う。「私たちには現金が必要なので、金融システムの緊急的な再構築が必要だ」。民間の市民たちは、約14兆ドル(約1400兆円)の個人資産を持っている。眠っているのだ。しかし、日本人がこの種の強い相互扶助に動機づけられれば、彼らは喜んで特別復興債の購入にお金を使うだろうし、増税にも我慢するだろう」。

岡本の事務所を離れる頃には外は暗くなっており、夜の帳がおりる頃、街の中を日本最大の民放旗艦局である TOKYO FM へ向かっているあいだ、通りは閑散としていた。スタジは千代田区の局舎7階にあった。ブースの中の薄明かりに照らされたデスクに身を乗り出して、わずか二時間の睡眠で働く番組ホストのひとり、上杉隆は、次の電話に出た。

42歳の上杉はフリーランスの記者で、かつてはNHKのテレビで働いていたが、その後は日本の報道機関と政府への挑発的な批判で絶大な支持を集めている。ヤギ髭をたくわえ、長方形のメガネを書けている。SONYのヘッドセットが左耳の上にかかっていた。彼の足下には、余震に備えてうすい黄色のヘルメットが置いてあった。彼は、キーがふたつなくなっているパナソニックの古いノートパソコンに体を向け、電話の合間にも、146,738人のフォロアーたちからの新しいツイートに目を通した。この科学技術の国で、人びとはラジオに回帰しつつあった。電話の相手は、ハスキーな低音の声を響かせて、「家屋と電柱が倒壊している」と言っていた。被災地の多くでは電話は通じなかったが、トラック・ドライヴァーである電話の相手は、廃墟となった地域の南に位置する茨城県鹿嶋市からかけてきていた。「こっちにはガソリンがない。ガソリンが来るのを3日も待たなければならないのなら、仕事ができない」。彼のいるところは被害を受けたが、他の地域に比べればそれほど深刻でない。「明らかに、茨城での政府の対応は不充分だ。まるで無視されているようだ」 と上杉は語った。

つづく

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米国内の原発記事関連記事を個人的にブログで翻訳しています。MasaruSさんが翻訳された「Letter from Fukushima」連載シリーズの別の号の記事を私も翻訳しましたので、紹介させいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

http://nytimesinjapanese.blogspot.com/2012/01/new-yorker201110_12.html

投稿: Translator | 2012年1月13日 (金) 15時10分

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