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上杉隆が Twitter で紹介していた『ニューヨーカー』の記事を翻訳しました(1):Evan Osnos, "Aftershocks: A nation bears the unbearable." The New Yorker, March 28, 2011

○上杉隆が Twitter で紹介していた『ニューヨーカー』の記事を翻訳しました (1):Evan Osnos, "Aftershocks: A nation bears the unbearable." The New Yorker, March 28, 2011

『ニューヨーカー』なう。官邸は「制御不能」、電事連は「核マフィア」、日本人は「洗脳」。http://www.newyorker.com/reporting/2011/03/28/110328fa_fact_osnos
uesugitakashi, 10:16 AM Mar 21st

先頃「小島慶子 キラ☆キラ」(TBSラジオ、月〜金13:00-15:30)降板を発表したジャーナリスト・上杉隆が Twitter で紹介していた東北地方太平洋沖地震に関する The New Yorker の記事 を下に訳してみました。

スピード重視ゆえ未推敲で初稿レベルの不出来ぶりですが、致命的な誤訳はないはずです(見つけたらご教示を)。

月曜「Dig」(TBSラジオ、月〜金22:00-24:50)のパーソナリティー・神保哲生による現地取材が紹介されています。

これから原発を外国に売って儲けようとしていた原発関連企業・日本政府の皮算用で廃炉が忌避され、海水の注入が遅延したと思われても仕方がない。

Letter from Japan, Aftershocks: A nation bears the unbearable. by Evan Osnos(Japan After the Earthquake and Tsunami : The New Yorker)(元記事、英語)

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様々な余震

国民ハ耐ヘ難キヲ耐ヘル。

エヴァン・オウスノス(Evan Osnos)

2011年3月28日

At a decontamination center, a fireman awaits arrivals from the potential contamination zone around the nuclear reactors at the Fukushima Daiichi power plant. The prospect of radiation introduced a threat all its own, and one throbbing with history. Photograph by Adam Dean.
放射能除去センターで、ひとりの消防士が、福島第一原子力発電所原子炉周辺の放射能汚染の可能性のある地域からの到着者たちを待っている。放射能漏れの見通しは、原発の町全体を脅威に陥れ、その脅威は歴史を震撼させている。写真:アダム・ディーン(Adam Dean)
 

3月11日の午後、日本の本州東北沿岸は肌寒く所により曇りで、かつて日本の「奥の細道」として知られた風景が広がっていた。午後2時46分、学校が終業し始めるころ、地面が揺れ始めた。日本の基準から言っても、それは凄まじい揺れで——地鳴りは5分も続いた———そして、まもなく日本のテレビは太平洋の西側への津波警報を瞬く間に報じ始めていた。海底から蹴り上げられた津波は、規模を拡大し、緩やかな速度で、日本の海岸線に沿った浅瀬に突入し、陸地に到達する頃には、津波は漆黒の淀みない水の壁になっていた。津波は、所によっては3階建てビルの高さに及び、時速50マイル(約80km/h)で進んだ。漁船を海の壁の上に弾き跳ばし、橋に叩き付けた。怒濤のごとく自動車とトラックの一群を押し流し、家屋を木とタイルの破片に変え、その後、宮城県・岩手県の内陸6マイル(約10km)の範囲に渡って押し寄せた。かつて農村漁村だった場所や仙台市中心部を通って暴れ回ると、波は速度を落としたものの、ほとんどの人が自分の足では振り切ることのできない高速を保っていた。

江戸時代の日本で最も有名な俳人・芭蕉はかつて、かの北の地を描写する際に中国の詩人を引用した:「国破れて山河在り。城春にして草木深し」。それでも、波が退くと、7世紀にまで歴史を遡る地域の小さな町々のいくつかは、見る影もない姿と化していた。南三陸町(人口17,000人)は、人口の半分が行方不明であると報告した。石巻市のとある幼稚園は高台の上に位置していたため園舎は難を逃れたが、スクールバスは助からなかった。その幼稚園は丸1日孤立し、津波によって引き起こされた炎に包囲されていた。親たちは、積み重なるわが子の遺体を目にすることになった。

東京から最初に到着した外部の人間のひとりが、神保哲生だった。記者で、日本最大のインターネット・テレビ・ニュース・ネットワークのひとつの代表を務める神保は、自身のオフィスの揺れが収まったわずか30分後には北を目指した。彼は、瓦礫と汚泥で道が通行不能になるまで12時間トヨタのミニバンを運転し続けた。その後は徒歩で進み続け、開けた静かな水田地帯にたどり着いたが、いくつもの電柱が尋常でない角度で水田から突き出していた。地元民によれば、その水田地帯はという集落だった。

その時点で、誰が見積もっても120人が死亡し、生存者たちは、やっとのことで真っ暗で暖房の効かない小学校やその他の避難所へたどり着いた。そこでは体育館よりも教室のほうが好まれた(広い空間は骨身に沁みる寒さだった)。気仙沼市近くの中学校では、500名が体育館の床で眠り、水の流れないわずか10据のトイレを共用していた。彼らは散乱した物に囲まれ、やっとのことで雪の降る屋外へ逃れた。彼らは圧倒的に高齢だった。津波は田舎の海岸線を直撃したが、最も高齢化の進行が速い社会のひとつである日本——日本の市民の5人に1人が現在65歳以上である——の田舎の多くがそうであるように、その地は、既に引退した人たち・戦後ベビーブームに生まれた中年の子供たち・その親たちからなる土地であった。

廃墟と化した陸前高田市を望む丘の上で、神保はセミ・リタイアした60代の男性と出会った。彼は津波警報のサイレンを耳にするや、母親と愛犬をトラックに押し込み、逆巻く波がバックミラーに映る中、内陸めがけて2マイル(約3km)も走った。「彼は家を失ったが、保険は効かない」と神保は語った。「幸いにも彼の家族は生き延びた。私は「これからどうされるつもりですか?」と訊いた。彼は、地元自治体からの支援があると考えたいと答えた。しかし、市役所(1)がなくなってしまった、そのことでおそらく彼の頭はいっぱいだろう。市長も亡くなったおそれがある。彼が頼れるのは行政だけだ。しかし、彼の地元自治体はなくなってしまったのだ」。
(1)原文では "The city-assembly office"(市議会事務所)ですが文脈上「市役所」と訳しました、

2004年のインド洋津波と異なり、その瞬間の恐るべき壮絶さは、日本の至る所に設置された監視カメラ・携帯電話・上空を舞う報道ヘリの瞬きもしない目の前で繰り広げられ、技術と工学によって日本の生活の中核に位置するに至った防災の意味に対する戒めを記録し続けた。政府の予測では、最終的な死者は1万人以上にのぼるであろうとされたが、生存者たちも多くの孤立した避難所に散らばっているため、公式な慰霊のめども立っていない。何千もの遺体が海岸に打ち上げられた。遺体袋の数にも事欠いた。

そのころまでには、話題は放射能漏れにシフトしていた。老朽化が進む6機並んだ福島第一原子力発電所の原子炉は、冷却システムを失い、原子力専門家の言葉によれば「バックアップのバックアップ」すらも失った。放射能漏れの見通しは原発の町全体を脅威に陥れ、放射能は目に見えないゆえに、その脅威は津波の生々しさ同様に歴史を震撼させている。当初日本政府は、不調をきたした原発から何らかの重大な放射能漏れが起こる可能性を過小に発表していたが、広島・長崎の原爆生存者たち——「被爆者」として畏敬の念を以って知られている世代——は、一歩踏み込んで「さらなる危機感」をもつよう求めた。菅直人首相は戦後最悪の危機を宣言し、明仁天皇は初めてテレビで声明を発表した。これは、彼の父・裕仁が1945年8月15日に日本の降伏を告げたラジオ放送と肩を並べる非常事態だ。裕仁は彼の臣民たちに「耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍」ぶことを求めた。水曜の朝、日本で最も購読者の多い『讀賣新聞』は、放射能疾患の症候(とりわけ、リンパ組織・腸管・骨髄へのダメージ)に関する記事と、「被曝から身を守るには…」という見出の記事を掲載した。後者の記事には、放射能汚染地域近隣の避難所の外に出る場合に何をすべきかという助言も含まれている(「帽子を着用し、鼻と口を濡れタオルかマスクで覆う」)。東京は、被害を受けた原発から140マイル(約220km)の距離にある。夕方までに、イギリス・フランス・イタリア・オーストリアは、東京滞在の必要がない民間人に対して退避勧告を行った。

つづく

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