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Eugene Terreblanche killed in South Africa(ユージン・テールブランシュ、南アフリカで殺害) (BBC News, 07:57 GMT, Sunday, 4 April 2010)

○"Eugene Terreblanche killed in South Africa" (BBC News, 07:57 GMT, Sunday, 4 April 2010)

最近、南アフリカで、ユージン・テールブランシュ(Eugène Terre'Blanche)という白人至上主義活動家が殺害される事件が起きたとか。

ニール・ブロムカンプ[監督]『第9地区』District 9(2009年)を鑑賞後に i-morley の「南アフリカの現在〜W杯間近」(2010年4月6日)を見ると、この事件が話題になっていた。日本の新聞に出てた? 私は、i-morley で初めて知った。

モーリーは『第9地区』について「差別する側の視点と、差別されている側・迫害されている側っていうのが、本当に些細なことで逆転することが可能なんだ」と言及しつつ、「ここ数日の事件で、なんでそういうプロットなのかやっと解った」と語っていた。その「ここ数日の事件」というのがテールブランシュ殺害事件。


南アフリカの現在〜W杯間近(i-morley、April 6, 2010)

最新の国際時事:南ア事情・激変中 - i-morley(リンク集)

ちなみに、白人至上主義者殺害と聞いて、オランダの極右政党党首ピム・フォルタイン(Pim Fortuyn)銃殺事件(2002年)を思い出したりもした。オランダも移民の増加から生じる人種間憎悪が問題になっている国。フォルタインは、ゲイであることを公言していた右翼という珍しい人でもあった。ピム・フォルタインの映画を撮っていた映画監督テオ・ファン・ゴッホ(Theo van Gogh オランダ語の発音では「ホッホ」)も2004年に殺害されている。もともとムスリムを揶揄・批判する映画監督・論客として有名だったらしい。あの画家のゴッホの弟のひ孫だとか。

BBC News | EUROPE | Obituary: Pim Fortuyn
Pimfortuyn.com / Pimfortuyn.com, alles over de man die Nederland wakker schudde(ピム・フォルタイン公式サイト:オランダ語)

BBC NEWS | Europe | Gunman kills Dutch film director
Theo Van Gogh overleden(テオ・ファン・ホッホ公式サイト:オランダ語)

話を南アフリカに戻すと、モーリーが指摘していたように、「テールブランシュ」(Terre'Blanche)はフランス語で「白い大地」の意味。その後放送では「白大地」呼ばわり。ちなみに、「ユージン」(Eugène)は「良い生まれの」「良い血筋の」という意味。eugenics(優生学)とも同源の言葉。冗談みたいな出来すぎた話。

テールブランシュの件は日本でそれほど報じられている様子もないので、BBCのウェブサイトに出ていた記事を下に翻訳してみた。自分だけ読むのも勿体ないということで。

英語が得意なかたは元記事をどうぞ:

BBC News - Eugene Terreblanche killed in South Africa

多民族・多言語国家という事情から、登場する固有名詞の読み方が判らない(どの言語のルールで発音してよいか判らない)ものもあるので、正しい読み方をご存知のかたは是非ご教示を。

* * *

ユージン・テールブランシュ、南アフリカで殺害

Eugene Terreblanche speaks in Pretoria in June 1999
隔離された白人自治区実現を求めるテールブランシュ氏

南アフリカの白人至上主義指導者、ユージン・テールブランシュ(Eugène Terre'Blanche)が、 同国北西州の彼所収の農場で殺害された。

警察によると、テールブランシュ氏(69)は、未払い賃金をめぐる口論の末、ふたりの農場労働者によって撲殺された。ふたりの農場労働者は逮捕された。

ジェイコブ・ズーマ大統領(Jacob Zuma)は、平静を保つよう求め、殺害が人種間憎悪を刺激することがあってはならないと語った。 

テールブランシュ氏は、隔離された白人自治区の実現を求めるキャンペーンを行い、1980年代初頭に有名になった。

テールブランシュ主要年表
1941: ヴェンタースドルプのトランスヴァールで生まれる。
1973: ボーア人子孫の権利を守るアフリカーナー抵抗運動(Afrikaner-Weerstandbeweging: AWB)を共同設立。
1993: アパルトヘイト撤廃に向けて対話が行われていたヨハネスブルグの世界貿易センターにAWB の車輛で突入。
1994: AWB、ボプタツワナ(Bophuthatswana) の部族自治区を襲撃し敗北、AWB側3名が死亡。
1998: 21人の死者を出した爆破キャンペーンの道義的責任を認める。
2001: 農場で働く警備員殺人未遂で投獄。
2004: 釈放。


死亡記事:ユージン・テールブランシュ
生前の写真
ユージン・テールブランシュ:読者のコメント

彼は、アパルトヘイト撤廃へのプロセスを止める決意を抱く少数派きっての闘士となった。

ナタール(Natal)警察署アーデル・ミバラ署長(Adele Myburgh)によると、「テールブランシュ氏の遺体は、顔面と頭部を負傷した状態で発見された」。

「彼にはパンガ(panga:幅広刃のナイフ)が刺さった状態で、ベッドの側にはノブケリー(knobkerrie:木製の棍棒)が落ちていた」。

ミブロー署長によると、テールブランシュ氏は、21歳と15歳のふたりの労働者との賃金支払いに関する口論の末、北西州ヴェンタースドルプ(Ventersdorp)郊外の自宅で殺害された。ふたりは、殺人の容疑で逮捕・勾留された。

ズーマ大統領は、殺害は「由々しき行為」と非難した。

南アフリカ SAPA ニュースの伝えるところによると、大統領府は、「大統領は冷静な対応を求めている。そして南アフリカ国民に、彼の代弁者たちにこの機に乗じて人種間憎悪を刺激・助長させることのないよう求めている」という内容の声明を出した。

また「殺害犯がいかに自身に正当性があると考えようとも、テールブランシュ殺害犯は非難されるべきだ。彼らに彼の命を奪う権利はなかった」と語った。

Map

殺害事件は南アフリカでの犯罪に関する懸念が高まる最中に起こったもので、野党の政治家たちによれば、自分たちには責任のないことで、与党・アフリカ民族会議(ANC:The African National Congress)の少数派から起こった扇動的な人種的感情が原因である、とBBCヨハネスブルグのカレン・アレン記者(Karen Allen)は伝えている。

事件が起きたのは、南アフリカがアフリカ大陸初のサッカー・ワールド・カップを開催する10週間前のことである。

テールブランシュ氏の「アフリカーナー抵抗運動」(Afrikaner Weerstandsbeweging:AWB)のスポークスマンは、殺害を、ANC のリーダーが最近アパルトヘイト時代の歌を歌って煽動したことに結びつけている。

「憎悪の歌」

アンドレ・ヴィザージー(Andre Visagie)がロイターに語ったところによると、 「これがすべてを物語っている。犯人は彼が寝ている間にパンガと棍棒を使って彼を殺害したということが」。

先週、南アフリカ高等裁判所は、ANC青年連盟(ANC Youth League)の煽動的な指導者ジュリアス・マレーマ(Julius Malema)に「ボーア人を殺せ」("Kill the Boer")を歌うことを禁じた。裁判所はこの歌はヘイト・スピーチであると語っているが、ANCは控訴中である。

※ヘイト・スピーチ(hate speech):人種・民族・宗教・セクシュアリティーに関する憎悪に基づく言論[訳者註]

解説Martin Plaut
マーティン・プロウト(Martin Plaut)アフリカ担当デスク

ほとんどの南アフリカ国民にとって、ユージン・テールブランシュは、前時代への回帰だった。しかし、彼の死は、ネルソン・マンデラによって丹念に培われてられてきた人種的寛容のイメージにとっては打撃である。

殺害の容疑者が直ちに逮捕されたことは、隠蔽をにおわせると考える者もいれば、彼の死は、黒人支配の下では白人は生きられないという彼らの主張を証明していると考える極右少数派もいる。

1994年のアパルトヘイト撤廃以来、3,000以上の白人農家が殺害されたことは悲劇的な事実である。そして、報復を企図する者も出てくるかもしれない。

テールブランシュ氏の葬儀は、そういった感情の象徴的な場面となるかもしれない。

ボーア(Boer)とは「農民」を意味するアフリカーンス語であるが、南アフリカのすべての白人に対して使われる蔑称でもある。

活動家たちは、マレーマ氏がこの曲を歌ったことが、ハウテン州(Gauteng)で最近起きた白人農家数名の殺害の原因だと非難した。

ヴェンタースドルプの農業団体は、緊張の高まりが制御不能になることを懸念し、平静を保つよう求めている。

野党・民主同盟(The Democratic Alliance)のスポークスマンは、テールブランシュ氏の死を人種間の緊張と結びつけている。

ジュアニータ・テールブランシュ(Juanita Terblanche、テールブランシュ氏とは無関係)は、「今回の件が起こった場所は、田舎の農業コミュニティー内で無責任な人種差別的物言いが人種間の緊張を煽っている州だ」と語った。

少数政党・自由戦線プラス(The Freedom Front Plus)は、感情的な反応を控えるように求めている。

SAPA ニュースが引用したところによると、 党スポークスマン、ピーター・グローネンヴァルト(Pieter Groenewald)は、「ユージン・テールブランシュ殺害事件は、爆発寸前の状況をつくりだし、考えうる最も強い調子の言葉で非難されている」と語ったとされている。

武力介入

概算では、1994年のアパルトヘイト撤廃以来、3,000人以上の白人農家が殺害されたと見られている。

調査委員会の2003年の調査によれば、政治的・人種的動機によるものは、農場襲撃のわずか2%にすぎないとされたが、評論家たちはこの数字は低すぎると語った。

テールブランシュ氏は2004年に、殺人未遂で5年の懲役のところ3年で釈放された。

同氏は、1973年に白人至上主義団体 AWB を設立し、当時南アフリカ大統領、ヨハン・フォルスター(John Vorster) の自由主義政策に反対した。

Eugene Terreblanche rides a black horse after being released from prison in Potchefstroom, file pic from 2004
2004年の釈放後、馬で闊歩するテールブランシュ

テールブランシュ氏の政党は、南アフリカ初の民主選挙を目前にして、テロリスト戦術をとり、内戦の脅威を煽った。

1980年台には、P・W・ボータ(P. W. Botha)政権は、南アフリカのアジア系および混血有色マイノリティーに、人種的に分断されていた国会議員選挙の投票権を認める憲法改正を検討した。

テールブランシュ氏と似た考えの人びとにとって、このような案は、民主主義・共産主義・黒人支配・アフリカーナー国家破壊へ向かう滑りやすい坂だった、と専門家は語っている。

武器を携帯し、軍隊に準ずる制服を身を包みつつも、折にふれて文化的な組織であることを主張しながら、テールブランシュ氏と彼の部下たちはアフリカの白人生存のために戦うと誓った。

失敗の憂き目を見たボプタツワナ自治区(the Bophuthatswana homeland)への1994年の武力介入では、AWB側3名がTVカメラの前で殺害され、以降、テールブランシュ氏の運動が真面目に取り合われることがなくなるという散々なPRとなった。

テールブランシュ氏は、アパルトヘイト存続キャンペーンを継続していたが、キャンペーンが頓挫した後は忘れられた存在となっていた。

AWB は2年前に復活し、最近では白人極右の統一戦線を組織することを目指していた。

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