ザ・シネマハスラー『ハートロッカー』の件で、町山智浩アメリカから緊急電話出演! 配信限定!放課後DA★話特別編(「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」(TBSラジオ)ウェブサイト、2010年3月28日(日)配信)
○「ザ・シネマハスラー『ハートロッカー』の件で、町山智浩アメリカから緊急電話出演! 」配信限定!放課後DA★話特別編(「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」(TBSラジオ)ウェブサイト、2010年3月28日(日)配信)
午前中に映画を観ると、残りの一日が長く感じられて得した気分になる。
暗い映画館を出て明るい陽光の下に出ると、ちょっとした時差ボケに陥り、「あぁ、まだ昼なのか」と体内時計がグイっと調整される時のタイム・ワープ的な眩惑が心地いい。
キャスリーン・ビグロー[監督]『ハート・ロッカー』The Hurt Locker(2008年)を池袋のシネマ・ロサで観てきた。
『ハート・ロッカー』予告編
ライムスター宇多丸 vs 町山智浩 on『ハート・ロッカー』
というのも、「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(TBSラジオ、土21:30-24:30)がネット限定で配信している、宇多丸 vs 町山智浩の『ハート・ロッカー』についてのフル・コンタクトなトークがめっぽう面白くて、どっちの言いぶんが正しいのか自分で確認したくなったからだ。
下記の音源を聴くと映画のストーリーがほとんど解ってしまうネタバレ状態。でも、音源を聴いたからといって、鑑賞経験の価値が減じたりしないというのが私の実感。聴いてから観に行っても、観に行ってから聴いても、どちらでも愉しめる:
○ハート・ロッカー(「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」ウェブサイト内)
○TBS RADIO 配信限定!放課後DA★話特別編【Part 1】
○TBS RADIO 配信限定!放課後DA★話特別編【Part 2】
○TBS RADIO 配信限定!放課後DA★話特別編【Part 3】
地上波の番組本編での宇多丸による読解に、町山がtwitter上で意義を唱えたことが対談のきっかけのようだ。
作品を観る前の段階でトークだけ聴いていると、ストーリー解説は町山のほうが具体的で、丁寧で、分があるように思われた。ただ、宇多丸の「誤読」を指摘するという立場で語っていたからかもしれないが、作品に対する評論的な視点が希薄であるように感じられた。
それに、町山に押されて声が小さくなっている宇多丸に判官贔屓なシンパシーを感じたこともあり、「実際に観てみないと」と思った次第。観る予定じゃなかったのに。
『ハート・ロッカー』を観てきた。
※以下、ネタバレ含む。
まず、表面的なことをひとことふたこと言うならば、爆破シーンの迫力はさすがで、あれは映画館で観てよかったと思った。宇多丸が褒めていた狙撃のシーンは、想像していたより淡白だった。私もガン・ファンなので、宇多丸の話でハードルが上がってしまったせいかもしれない。
昼のシーンと夜シーンの対比は効果的だったが、闇夜のシーンでもっと音を強調し、暗闇で視覚を制限された上に四方八方を音に囲まれて冷静な判断を妨げられる様子を描くほうが、迷走感をさらに強調できたのではないかと思う。
さて、本題。
ストーリーの内在的読解としては、やはり町山のほうが概ね的確だった。完璧で剛胆で思慮の浅い快楽主義的な自信家が、自分の無力さを思い知って自信喪失する、という流れが正しい。
しかし、問題のラストシーンに関しては、町山はジェイムズ二等軍曹(ジャーミー・レナー Jeremy Renner)に感情移入し過ぎで、ジェイムズの代弁者になってしまっているように思われた。その意味では、町山・宇多丸ともに半分づつ正しいという印象。
描かれているものを描かれている通りに理解するということは評論の前提となる必要条件だが、正確な理解と評論はハッキリと異なるものであり、前者だけでは評論にならない。
他方、評論が、主観や予断やイデオロギーによる裁断であってはならないが、一歩踏み込んで作品に介入しなければ評論にならない。もちろんその際には、抑制の利いた方法が必要だけれど。
"War is a drug."
最大の問題は、「ジェイムズ二等軍曹はどうして戦場に戻ったのか?」
宇多丸説はこうだ:ジェイムズは、戦争で傷ついて帰国したものの、日常生活の単調さに倦んで、考えることをやめ、戦場に自分の居場所を再び見いだした(と読めてしまう描写になっている)。
コレに対する町山説は:ジェイムズは、戦争で傷ついて帰国したものの、自らの存在理由に関する「人間的選択」を通じて、戦場に自分の居場所を再び見いだした。
分岐点はジェイムズの動機が「日常生活の倦怠感と疎外感」から発しているのか、「人間的選択」によるものなのか。
ここで、映画のイントロのエピグラフの、クリス・ヘッジス(Chris Hedges)の次の言葉をどう考えるかが重要なのではないかと思う:
"The rush of battle is often a potent and lethal addiction, for war is a drug."
町山は、"war is a drug" が強調されすぎていると言ったが、わざわざ冒頭で引用するぐらいだから、作品全体に渡って意味を持つはず。エピグラフが作品の最後まで利いているわけではないと考えるのは無理がある。自分の存在理由に気づいたから戦争中毒克服、ヤク抜き完了——なわけじゃないんじゃないか。
家族と料理をつくる平穏な生活の最中にも戦争の話ばかりしてしまうジェイムズ。そして、ジェイムズは、棚一面に整然と並ぶシリアルの箱として視覚化された日常生活の単調さに呆然とする。
戦争の高揚感と平時の倦怠感——まさに戦争中毒そのものじゃないか。
それに、ラスト・シーンのジェイムズの表情がそれほど「悲愴」なものには、私には見えなかった。どちらかといえば憑物が取れたような顔に私には見えた。
いずれにせよ、ジェイムズはある種の内面的変化を経験しているものの、外的状況はジェイムズの最初の爆弾処理シーンのリピートになっている、というのがラスト・シーンのミソなのではないだろうか。
「語られたストーリー」と「語り手のポジション」
語られたストーリーの流れを表面的に見れば、反戦を基調にしつつも、ある種のイニシエイションを経て戦争参加の意義を内面化して戦場に戻る主人公を描くという点で、今井雅之の『THE WINDS OF GOD』(1988年)に似ていると思った。
しかし、ひとつの「語られたストーリー」も、ビグローの「語り手のポジション」をどう捉えるかによっては、(1)戦場に戻るという「人間的選択」を通じてジェイムズは精神的な死から復活したと捉えることもできるし、(2)「人間的選択」を梃子にして戦場に戻らなければならないほど、ジェイムズは重篤な戦争中毒に陥っていると捉えることもできる。(ちなみに、おそらく『THE WINDS OF GOD』はシンプルな前者タイプ。)
冒頭のクリス・ヘッジスの言葉が War is a Force That Gives Us Meaning (書名に注目!)から引用されたものであることを思い起こすと、ビグローのポジションはおそらく後者ではないかと思われる。ジェイムズは「人間的選択」をしたのではなく、自分で選択したと信じているが実は戦争によって選択させられたのではないか。戦争は、人間の主体性すら資源として動員するのだ。そのほうがより鋭い視点の反戦映画と言えるし、この映画がそのようなアメリカ映画であってほしいと私は思う。
また、ジェイムズの内的「成長」を描く作品であるのなら、あのようなドキュメンタリー的な撮り方はしないはずだ。もっとロマン主義的な撮り方をするはず。実際、語り手のポジションはジェイムズから一歩引いたところにあり、彼を外から冷静に見る視点から撮られている。
ところで、最後に率直な感想を言えば、映画は面白かったけれど、心の奥深くに突き刺さるほどではなかった。私がアメリカ人じゃないからかなぁ。
ただ、宇多丸 vs 町山のポッドキャストを前もって聴いていたので2割増で愉しめた。これ聴いて観に行った人、結構いるんじゃないかなぁ。
ところで
英語風に言えば「カイバー峠」かもしれないし、曲名としては「カイバー・パス」でいいけれど、峠の名前としては、日本向けには「カイバル峠」のほうが一般的な呼称なんじゃないの?
こういうの、すごく気になるタチなんで。スミマセン。
※こんなのも書いてます。よかったら:
○小島慶子 キラ☆キラ(TBSラジオ、2009年9月18日(金)13:00-15:30)
※マイケル・ムーア[監督]『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』Capitalism: a Love Story(2009年)について。
こちらも町山説に反論する内容になっていますが、基本的に尊敬しています。
Ministry, "Khyber Pass" (2006)
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コメント
あなたのブログの感想はおおむねよい読解だと思うが、イラク戦争を知っていれば「戦争はドラッグだ」はどう考えてもおかしい。アメリカ人で好きでイラクに行きたがっている兵士はいないだろう。
そしてもし「好き」で行っているならそれはその人が尋常ならざる人であり、一般には精神障害者とか、一般社会に適応できない異常者、人殺ししかできない人(natural born killer)と言われる存在だろう。町山はそれを人間的で主体的な選択だという、
町山自身が戦争中毒になっている証だ。彼はアメリカの主流の戦争を否定できない流れにつかり過ぎている、アメリカ人でさえそれを批判できるのに。そういう自分のおかしさを自覚できない独りよがりの人間だから、映画全体をを肯定的に取るのだろう。ここで大事なのは映画がいくらブッシュを批判してもイラク戦争の責任をアメリカ人として反省し後悔しているものではない事だ。結局イラク人を踏みつけ踏んだ足が痛い事を嘆いているのであって、踏んだことは反省してはいない。映画はそこまでしか言わない。
そしてそれ以前に爆弾処理班は戦争と関係ないという楽天ぶり。もしそれが楽天さでないなら町山はアメリカ人はイラク人のために戦争しているという一種の政治宣伝の犠牲者というべきかもしれない。どう考えても町山はおかしい。
投稿: nakamichi | 2010年4月 6日 (火) 11時58分
ジェイムズがどのような選択をしたのか思いを馳せても意味は無い。なぜならジェイムズはもともと架空の人物だから。では、実際にイラクに派兵されている人たちが、この映画をどう捉えているかというと、事実と異なっていて不快だと拒否反応を示す人たちが多いそうだ。
投稿: yot | 2010年4月20日 (火) 18時30分
いま、やっとDVDで『ハートロッカー』を見ました。
そして、宇多丸さんと町山さんの話を聴き直そうとして、
このブログに辿り着きました。
『ジェイムズは「人間的選択」をしたのではなく、自分で選択したと信じているが実は戦争によって選択させられたのではないか。戦争は、人間の主体性すら資源として動員するのだ』
なるほど。素晴らしい読み取りだと思います。
感謝です。
投稿: wakita-A | 2011年6月16日 (木) 06時18分