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町山智浩「コラムの花道」、「ストリーム」(2008年9月30日(火)13:00-15:30)

○町山智浩「コラムの花道」、「ストリーム」(2008年9月30日(火)13:00-15:30)

町山智浩の「コラムの花道」をポッドキャストでチェック。最近サボっていたので、結構たまってしまっていた。

なかでも面白かったのは、2008年9月30日(火)13:00-15:30放送ぶん。この日は、ポール・ニューマン(Paul Newman, 1925−2008)の逝去(9月26日)を受けての「コラムの花道」。

TBS RADIO 小西克哉 松本ともこ ストリーム powered by ココログ: 9/30(火)コラムの花道

asahi.com(朝日新聞社):ポール・ニューマンさん死去 「明日に向って撃て!」 - おくやみ

◇町山智浩の『暴力脱獄』(Cool Hand Luke, 1967)

沈痛な口調で話す町山が印象的だった。本当に好きだったのだなぁ。

ポール・ニューマン出演作品で、町山が薦める最高傑作は、『暴力脱獄』(Cool Hand Luke, 1967)。見るのはコレ一本でいいそうだ。お恥ずかしながら、私はこの作品を知らなかった。

町山の言では、『明日に向かって撃て!』(Butch Cassidy and the Sundance Kid, 1969)も、『ハスラー』(The Hustler, 1961)も、『スティング』(The Sting, 1973)も、『タワーリング・インフェルノ』(The Towering Inferno, 1974)も、『暴力脱獄』に比べればゴミだとか。随分な言い方だが、町山がそう言うなら見るしかない。

町山によれば、『暴力脱獄』は「アメリカでほとんど唯一の実存主義の映画」だとか。こういうキャッチ・コピーに私は弱い。

主人公のルーク(ポール・ニューマン)が、徒にパーキング・メーターを壊して刑務所に入る。刑務所は人生のメタファーで、刑務所の中も外も同じだと考えるルークは徒に刑務所に入るのだ。それは戦争の経験で人間の真実を見て絶望してニヒリストとなったルークがたどり着いた境地のようだ。カート・ヴォネガット Jr.(Kurt Vonnegut, 1922-2007) の作品の基調にある世界観をちょっと想い出した。

その失うものも怖いものなど何もないニヒリスト、ルークの笑顔と意味不明な行為が囚人たちを勇気と希望を与え、刑務官たちを苛立たせる。ルークの存在が囚人たちの心をひとつにするが、ルークは受難者としてキリストのように刑務官に命を奪われる——というのが町山の解説。

町山の熱の入った紹介は、作品を見てみようという気にさせるには充分で、ポッドキャストを聴いて即座に、『暴力脱獄』を注文。届くのを待った。

◇私、MasaruSは『暴力脱獄』をこう観た

だが、実際に映画を観てみて、私は町山のポジティヴな解釈とは異なる印象を受けた。

確かに、主人公ルークその人は抵抗する人であるが、少なくとも、この映画の語りのアティチュードの基調は、抵抗や反逆というよりもむしろ諦観ではないだろうか。

まず本題から少し迂回しつつ揚足取りから始めると、町山は「厳しい刑務所」と言っていたが、映画を見る限りそういう印象は受けなかった(後半にルークが受ける仕打ちは別として)。むしろ、抑圧や閉鎖性のようなものは入所のシーンぐらいで、房内の生活は比較的自由(ゆで卵を大量に提供されたりもする)、刑務作業は屋外で道路の路肩の草刈や補修工事のようなことをやっている。作業中に近くの庭で洗車するセクシー美女にうつつを抜かして悶絶したりすることもできる。自由度が高い刑務所だからこそ社会のメタファーだという意味が生きてくる。

次に、ルークの抵抗に深い意味がないのは、町山の指摘通り彼の戦争経験という個人史に起因するところもあるとは思うが、それとは別に、かの抵抗が、そもそも動機を欠いた抵抗のための抵抗だということを端的に示しているという側面もあるのではないだろうか。

60年代の抵抗運動に対するこのような見方は、当事者たちの現在における回顧と総括のなかにしばしば見られる(たとえば、Tony Judt, Post War: A History of Europe since 1945  (Penguin, 2005) など)。映画を見るにつけ、当時40歳だった監督のスチュアート・ローゼンバーグは、若者たちにある種の共感を感じる一方で、67年の時点で早くもこのことに気づいていたのではないかと思わせる。たいした手もないのに掛け金を吊り上げて勝負を挑むポーカーのシーンは、60年代の若者たちの抵抗のありようを映しているという風に私には見えた。

また、ルークは何度も脱獄を試みるが、結局必ず連れ戻される。刑務所が社会や人生のメタファーだとするならば、このことは、社会や人生には外部がないことを示している。人は、いま自分が生きている社会や人生から逃れることはできず、既存のシステムへの従属が逆説的に個人の主体性を担保し、生存を可能にする。せいぜい望むべくは、囚人の老名主ドラッグライン(ジョージ・ケネディ)のように、権力の監視下で一段下位の権力機構をつくって君臨することぐらいなのだ。ある種の悲観主義的な社会システム論的世界観が作品の底流にあるとも感じられる。

それに、路上での刑務作業中に刑務官の車を奪い最後の脱獄を試みるルークの姿に唆され、ドラッグラインも車に跳び乗るが、脱獄成功後にルークからつきはなされるとドラッグラインは、勢いで脱獄してしたもののその後どうしたらいいか判らないと吐露する。従属から解き放たれたドラッグラインは主体性を失うのだ。ルークのほうにも、脱獄後のプランがあるというわけではなさそうだ。それどころか、刑務所から出たルークに待っていたのは死という結果なのだ。

この作品は、上述のような60年代における抵抗のありようと限界を活写しているように私にはどうしても見えてしまう。

* * *

とはいうものの、ポール・ニューマンが最後にマスコミの前に姿を現したのは、2004年の反ブッシュ集会だったとかで、町山によると、「私のような大金持ちから税金を取らないって言ってるブッシュ政権なんか倒せ!」と発言したとか(実際には「私のような憂うる金持ちに対して減税するのは犯罪に等しい」"I think that tax cuts for worried, wealthy thugs like me are borderline criminal." と発言したようだ)。

カッコいいなぁ。

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