放送室(TOKYO FM、2007年8月18日(土)26:00-27:00)
○「放送室」(TOKYO FM、2007年8月18日(土)26:00-27:00)
この番組について、面白いか面白くないかと聞かれれば、面白くなかった。
ちゃんと聴いたのは今回が初めてで、しかもこの一回しか聴いたことがない。実は、先週・先先週も聴いてみたのだが、途中で寝てしまった。
少なくとも私にとってなぜこの番組が面白くなかったのか、理由はハッキリしている――それは、この番組における松本人志の中途半端さだ。塩を入れ忘れたすまし汁のような感じだった。
とはいえ、何度も改編を乗り越え、書籍化もされている番組であるから、多くの人たちに支持されている番組なのだろう。そう、どうかしているのは私のほうなのだ。
松本はかつて、彼にとってラジオとはいかなるものかについて、『Quick Japan』がラジオを特集した号で次のように語っていた:
松本 十七年前。「ガキ」で、TVでフリートークができる状況になったら、ラジオをやる意味がよく分からない、ってなってきたのよ、俺。
高須 何のためにやってるのかわからん、と。
松本 で、もう少し年齢が経てばできるって、俺、その時から言ってたはず。というのは、当時の俺らがラジオをやったら、ものすごく「笑い」を求められるから。俺は「笑い」はもちろん好きやけど、「ガキ」でそれはできてて、「ガキ」とかぶるような番組をもう一つってのはないな、と思った。ラジオはもっと、それこそ「ぬかるみの世界」みたいなもんがいい。あんまり「笑い」を意識しないやつ。普通~の、おっさんの普通の話ができる時が来たら、ラジオをやらしてもらいたいな……って言うた記憶がある。だからしばらくラジオは封印してた。
「松本人志・高須光聖 誌上「放送室」 雑談の中の雑談がしたかった」『Quick Japan』vol. 63(太田出版、2005年)p.86
一旦脇道に逸れるが、現在放送中のラジオ番組で「普通~の、おっさんの普通の話」と言われてすぐに思いつくのが、「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」(ニッポン放送、日16:00-17:30)と「誠のサイキック青年団」(ABCラジオ、日25:00-26:45)だ。ふたつの番組のウリをそれぞれ端的に表現するなら、前者は雰囲気、後者は内容だろう。具体的に言えば、放送を文字に書き起こした場合、「サイキック」は読むだけでも充分愉しめるが、「日曜日のそれ」は文字で読んでも何の面白味も伝わらないだろう。その代わり「日曜日のそれ」は、実際に放送を聴いた者だけが共有できる気分を、伝達される意味内容に還元しきれない何かを放送を通じで伝達している――ひょっとしたらラジオの価値としては、こちらのほうが一段上なのかもしれない、という気がしないでもない。
「日曜日のそれ」には、すべてを受け入れる共同体主義的な居心地の良さの精髄に満ち溢れている。「サイキック」には、怪しげな森の中からメイン・ストリームを嗤い、エスタブリッシュメントを撃つ、「義賊的」な痛快さがある。
「放送室」には、残念ながら、そのどちらもない。
松本の整理では、「テレビでやりたくてもできない人」(『Quick Japan』vol. 63、p.88)のラジオ、テレビでの活躍、年齢を経てからのラジオへの回帰というコースが想定されているようだ。言いたいことは理解できるし、実際にそのような事例は枚挙に暇がない。お笑い芸人として成功し、年齢も重ねた松本が、「一応、これは残しておかなあかん言葉もあるやないか」(同上、p.87)と思い立ち、帰ってきた――松本にとって「放送室」はそうした位置付けの番組なのだろう。
しかし、「放送室」はそのような番組に成りえているのだろうか?
考えてみれば、「普通~の、おっさんの普通の話」は、大概は面白くも何ともない。「あんまり「笑い」を意識しない」となればなおさらだ。「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」において鶴瓶は、自分が気に入った若いミュージシャンのことを「ほんとにええ曲なんですよ」「ええ子なんですよ」と、こっちが拍子抜けするほど飾り気の無いストレートな言葉で普通に褒める。リスナーから送られてくるなんでもない日常の心の機微を綴ったハガキに、何でもない言葉で返す――まさに「「笑い」を意識しない」「普通~の、おっさんの普通の話」の極致。そこには「一応、これは残しておかなあかん言葉もあるやないか」などという気負いも衒いもまったく感じられない。それにもかかわらず、鶴瓶の番組があれほど聴く人を幸福な気分にさせてくれるのはなぜなのか? 陳腐ではあるが、結局のところその理由は、鶴瓶の人間的な魅力に他ならない。ひとりの魅力ある人間として結実した年齢の蓄積が、じんわりと電波を通してにじんでくるのだ。深みのあるだしに、さりげないが完璧な調味の京風すまし汁――そんな味わいがある。
松本は、テレビでは天才として笑いの最前衛を邁進し、活字媒体では知識人・教養人的な側面を強調してきたように思う。つまり、「普通のおっさん」を迂回するようなキャリアを通じて押しも押されぬスターに登り詰めた。そんな男が、急に「普通のおっさん」として「帰って」来られてもピンと来ない。彼は人間的な成熟やだらしなさを曝け出すようなコースを辿って来なかった。すなわち、松本は、「高踏派の天才」であり「人から一目置かれる面白いおっさん」ではあるが、「共感される普通のおっさん」ではない。ちゃんと「普通のおっさん」になり切れていない男が「おっさんの普通の話」をしようとして空転する中途半端さに、私は居心地を悪くしたのだ。
とはいえ、かく言う私もガララニョロロのノンセンスさに笑い転げた時代があり、テレビ芸人としての松本人志の才覚に疑問を挟む者ではない。しかし今や、普段それほどテレビを見ない私にとって、「放送室」には「テレビのスターの、あの天才松本人志が、ラジオで普通の話しをしている」という類のありがた味がない。この番組の面白さは、つまるところ、松本人志にテレビを通じてどれだけ心酔しているかに比例して実感されるのかもしれない。
「放送室」が終わると村上隆の「エフエム芸術劇場」(TOKYO FM、土27:00-28:00)が始まる。TOKYO FMのセンスには辟易する。
その流れで久びさにTOKYO FMを聴き続けてみたが、田中美登里の「トランスワールド・ミュージック・ウェイズ」(TOKYO FM、放送期間不詳、日5:00-5:45)をやっていないのに愕然とした。最近はご無沙汰していたが、この番組はTOKYO FMの隠れた看板番組だと思っていたので、非常に残念。どの局にも、終わらせてはならない番組が必ずあるはずだ。クラシック寄り(「音大的センス」と言ったほうが近いか)だが、実験的な音楽や民族音楽をノン・ジャンルで紹介する、今どきアティチュードのある希有な番組だった。YOKYO FMの水平尾翼というか錨というか、そんな番組だった。この番組を終わらせたTOKYO FMは、反省しなさい。
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