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2007年6月

ジェットストリーム(TOKYO FM、月~金 24:00-24:55)

○「ジェットストリーム」(TOKYO FM、月~金 24:00-24:55)

このブログ、開始したばかりということで、コンテンツ増強のため、過去に私のウェブサイトに載せた日記(2007年1月25日(木)付)をこちらに再録します(若干の加筆・修正あり):

1月25日(木)

遠い地平線が消えて、
深々とした夜の闇に心を休める時、
遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、
限り無い宇宙の営みを告げています。

満天の星をいただく果てしない光の海を、
豊かに流れゆく風に心を開けば、
煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂のなんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります。

これからのひと時。
日本航空が、あなたにお送りする
音楽の定期便。「ジェットストリーム」。
皆様の、夜間飛行のお供を致しますパイロットは、
わたくし、城達也です。

さっき[=2007年1月25日深夜]、「報道ステーション」で「ジェットストリーム」特集をやっていた。城達也の「ジェットストリーム」中心の取り上げ方で、なんか「団塊の世代の青春ロマン」的なアプローチだったが、ちゃんと今も続いている番組だし、私も城達也の「ジェットストリーム」をリアル・タイムで聴いていた、おそらく最後の世代。城達也の「ジェットストリーム」はオッサンだけのものではないのです。

 世代に絡めてもうひとつ言うならば、私にとって「ジェットストリーム」のエンディング・テーマと言えば「夜間飛行」で、「夢幻飛行」の記憶はほとんどない。

 「報道ステーション」のまとめでは、城達也の「ジェットストリーム」は、FMラジオ最長寿番組として、現在の伊武雅刀に引き継がれているという話になっていたが、小野田英一、森田真奈美の「ジェットストリーム」はなかったことになってるゾ。いいのか?

 とはいえ、小野田、森田の「ジェットストリーム」は、正直言って好きになれなかった。小野田ヴァージョンは、小野田が男前声で直接リスナーに語りかけてくるようなスタイルだった。小野田とリスナーの二人だけの世界を演出するのはいいが、男の私には煩わしかった。森田ヴァージョンは、ゲストを呼んでトークをしたりして、ラジオの向こうで世界が完結している感じがして残念だった(現在 J-WAVE でやっている某番組に雰囲気が似ているかもしれない)。かといって、これらが小野田や森田のせいでないことは解る。城の「ジェットストリーム」のあとで、城のスタイルを踏襲してもリスナーには容易に受け入れられなかっただろう。時間をおいての城フォーマットへの復帰は由あることなのかもしれない。

 とはいえ、餅は餅屋、「ジェットストリーム」は城達也。小野田、森田の「ジェットストリーム」は、正直行ってピンとこなかった。伊武が「ジェットストリーム」を引き継いで、城のころのフォーマットに戻ったときは少しだけうれしかった。 ただし、懐かしの「りんりんダイヤル」は、もうない。

 伊武の「ジェットストリーム」もかなりよいと思う。城も伊武も低音が魅力ではあるが、とはいえ、両者の語りには決定的な違いがあるという印象をもっている。伊武の低音は、城のそれに比べて、「ジェットストリーム」のような番組の声としては、少し芯が太すぎる感じがする。城の声は空気によく溶けたが、伊武の声は存在感が強くて空気に溶けにくい。また、城の声には重厚さだけではなく、他にはない軽妙さがあった。

 城の語りの軽妙さは、声の質だけでなく、語りのスタイルにも由来していたと思う。あくまでも個人的な印象だが、城は、聴き手に直接語りかけるというよりは、ラジオと聴き手のあいだにそっと言葉をリリースし、音の空間をつくり出していたような気がする。城の語りは、小野田、森田ヴァージョンのような完結した閉鎖空間ではなく、辺縁のない開放空間を構成していたと思う。そこには、音の空間に身をゆだねることから得られる独特の快適さがあった。また、伊武の芯の太い低音は、言葉の意味をリスナーの耳に直接響かせてしまう。他方、城の声は、インストルメンタルの曲の合間にあって違和感を感じさせないものだった。その意味では、城の声も音楽だった。

 何はともあれ、正直なところ「報道ステーション」の「ジェットストリーム」特集はうれしかった。ラジオ・ファンとしては、ラジオの価値が少なからぬ人びとに共有されていることが確認できたからだ。しかし、しかしだ、やっぱり映像が邪魔なのだ。テレビだから仕方ないのだが、ラジオの価値を映像を通じて伝えることには限界があるというか、土台無理なのだ。同じ内容がラジオで紹介されていたら、もっと違った味があったと思う。

 今となっては、城達也の「ジェットストリーム」を録音しておけばよかったと思う。ラジオは基本的に再放送はやらないが、せめて城達也氏のご命日2月25日だけでもいいので、城達也の「ジェット・ストリーム」の再放送をやって頂けないものかなぁ。

夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは、
遠ざかるにつれ、
次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。

お送りしておりますこの音楽が、
美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように。

日本航空がお送りした音楽の定期便、
「ジェットストリーム」
夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは
わたくし、城達也でした。

JET STREAM(公式サイト)
「団塊世代に贈る(5)ジェットストリームと深夜放送の時代」 tv asahi|テレビ朝日 報道ステーション
YouTube - Jet Stream(「報道ステーション」の特集の動画)

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「やっぱり、ラジオ!」『論座』2007年5月号(朝日新聞社)

○「やっぱり、ラジオ!」『論座』2007年5月号(朝日新聞社)

このブログ、開始したばかりということで、コンテンツ増強のため、過去に私のウェブサイトに載せた日記(2007年4月2日(月)付)をこちらに再録します(若干の加筆・修正あり):

4月2日(月)

2号続けて『論座』(朝日新聞社)を買う。

 今回の2007年5月号は「やっぱり、ラジオ!」という特集に魅かれて購入。物足りないといえば物足りない特集だった、ラジオ馬鹿は「ラジオ」と書いてあれば何でも反応してしまうのです。

 永六輔、太田光など、いろいろな有名人が寄稿している「私とラジオ」というショート・エッセイ・コーナーで最も印象に残ったのは、渡辺恒雄讀賣新聞主筆、そう「ナベツネ」だ:

大小いろいろのラジオを買って試したのだが、SONY の ICF-A110V という中型ラジオが、TV・FM・AMがそれぞれ7波づつワンタッチでピタリと音が出るので重宝している。

というフレイジングや、わざわざ型番を出しているところなどにラジオ好きの匂いを感じて、妙に親近感をおぼえてしまう……ナベツネなのに。

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伊集院光 日曜日の秘密基地(TBSラジオ、2007年6月24日(日))

○「伊集院光 日曜日の秘密基地」(TBSラジオ、2007年6月24日(日) 13:00-17:00)

スペシャル・ウィーク(聴取率調査週間)特別企画「日曜ゼミナール講師陣が出題! 2007年上半期ニュース力検定試験スペシャル」

タイマー録音でエア・チェックしていたものを後に聴取。

正直言って私は、他のすべての番組に関しても同様だが、スペシャル・ウィーク(聴取率調査週間)の特別企画よりは、レギュラー放送のいつもどおりの企画のほうが好きだ。今回の「秘密基地」も、全体的には可もなく不可もなくそれなりに愉しめる内容だった。

しかし、一番印象にのこったのは、メインの伊集院光がオープニングで発した言葉だった。

伊集院は「今年の上半期のニュースん中でひとつって言われると、プロ野球の裏金問題、しかも裏金問題のうやむやになっている様」と呟き始めた:

まず裏金問題で追及されるべきのプロ野球が完全うやむやで、で、しかも、高校野球も特待生問題もち上がったんだけど、これまた、すんごいうやむやになって、で実は、一番最初に、その、西武から裏金もらってたって言われて自分で会見した、あの~、木村っていう社会人のピッチャーは、え~、たぶん投げられてないよね。社会人、アマチュア野球の規定かなんかに引っかかって、結局のところ野球をできない状況になって。え、ひとりだけのこと?って。責任取んのひとり?みたいな。

で、この局[=TBS]もそうですよ。この局もそうですし、4チャンネルもそうですけど、プロ野球を持ってるメディアですよ。ね。そこが一切追求をしようとしてないという。え~、お前どこの放送局でやってんだっていう(笑)。TBSですよ。そういう姿勢に関してはクソですよ、この局は、ね。それ以外に関して素晴らしい(笑)。

伊集院光 日曜日の秘密基地」TBSラジオ、2007年6月24日(日)

伊集院の深夜番組のリスナーであれば、「例の内弁慶の癇癪が始まったぞ」とニンマリしながら歓迎するだろう。ただ、日曜日の昼ワイド向きな内容ではない。「クソ」呼ばわりで自社の体質を批判する語りは、行楽の道中、家族連れがなんとなく聴き流す内容としてはいささか快適さに欠ける。

しかし、この発言に胸のすく思いをした人も少なくないだろう。

伊集院にこう言わせたのは、メディアの全般に対する大上段からの抽象的な批判というよりは、野球への愛と野球選手への敬意といった地に足の着いた想いだったと思う。深夜の番組であれば、いつもの愚痴や、罵詈雑言一歩手前の辛辣な口撃へ展開したはずだ(それはそれで面白い)。しかし、夜の闇の内弁慶は、吐き出す毒を昼の光の中での寸止めした――いや、ほんのちょっとだけ当て身だったかもしれない。

ラジオは解放区だという幻想が、ラジオ・ファンの聴取行動を支えている側面がある、と言えば同意してもらえるだろうか? ラジオ・リスナーを惹きつけるのは、殺菌消毒されたテレビの世界では伏せられた語り手個人の姿勢や言葉に他ならない。ラジオの愉悦とは、語り手個人の偏りを、聴き手が偏った個人として引き受け、両者の距離を斟酌することから生じるのだと思う。

私は、彼なりの真摯さで第三の権力を甘噛みした伊集院との距離を縮めながら、かさぶたをそっと剥がす時のような自傷的なスリルにちょっとだけ身を震わせつつラジオに耳を傾けた、そんな次第でありました。

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輝く!「コラムの花道」傑作選 オールタイム・リクエスト(TBSラジオ、2007年6月22日(金) 17:50-22:00)

○「輝く!「コラムの花道」傑作選 オールタイム・リクエスト」(TBSラジオ、2007年6月22日(金) 17:50-22:00)

松本ともこ、小西克哉による昼ワイド「ストリーム」(TBSラジオ、月~金 13:00-15:30)内のコーナー「コラムの花道」の傑作選。タイマー録音でエア・チェックしておいたものを聴く。

「コラムの花道」とは、日替わりでコラムニストによる20分のトークをフィーチャーしたコーナー。正直言って、昼ワイドなので、オン・タイムで聴いたことはほとんどない。「コラムの花道」を知ったのは水道橋博士のウェブ上の連載を通じてのことで、博士が「毎日、エアチェックし、iPodに取り込んで」、番組のディレクターに「今までの全放送をコンプリートで揃えたいから、録音ミスした回をダビングして欲しい」と懇願したほどの名コーナーだと言うから、聴かないわけにはいかない。私はポッドキャスティングで聴いている。

個人的には、映画評論家、町山智浩が一番おもしろいと思う。町山に注目するようになったのは、先述の水道橋博士のウェブ上の連載の次の部分を読んだのがきっかけだった。売春窟の子供たちに対する町山の姿勢が次のように紹介されている:

○映画『売春窟に生まれて』紹介(5月17日放送) 
[中略]
 そして、この状況を町山智浩氏は、
 「子供時代は、ファンタジーであり、世の中に妖精や王子やお姫様がいると信じられる時代なんだ。でも、それを与えられる子供たちは人類史のなかでもレアで、世界のほとんどの子供達には少年時代すらないんだ」 と説く。

「WEBダ・ヴィンチ|4ちゃんねる! - 水道橋博士」2006年2月3日

こういう正論は、最近少ないような気がする。

こういうまじめなことを話題にする一方で、町山は、下ネタも得意としている。このバランス感覚が絶妙なのだ。『マトリックス』の監督、ウォシャウスキー兄弟の兄ラリーが、SMの女王様の命令で上半身を女性に肉体改造しているという話は、印象的だった。

町山に関してもうひとつ印象的なのは、先ほどと同じソースの次の箇所:

○モーガン・スパーロックのTVシリーズ(7月19日&26日放送)
 ドキュメント映画『スーパーサイズ・ミー』の監督による米国のテレビ番組『30デイズ』の紹介。
 30日間、最低賃金生活で暮らさなければいけないドキュメント企画など。
[中略]
 そして、この回では、なんと町山vs勝谷戦争が勃発。
 ※番組内が緊張状態に突入するも、次週には休戦。
 その影に、「番組リスナーのためにも交戦して欲しくない」との飯島ディレクターの仲介があった。この国連平和維持活動には勝手にノーベル平和賞を捧げたいくらいだ。

「WEBダ・ヴィンチ|4ちゃんねる! - 水道橋博士」2006年2月3日

「町山vs勝谷戦争」について wikipedia を見てみると:

その結びの際にいきなり勝谷を話にあげ、「彼をそのテレビ番組に出演させて、中国人や韓国人として生活させれば少しは言われる側の気持ちがわかるだろう」という趣旨の発言をした。

町山智浩 - Wikipedia

とのこと。勝谷誠彦(「コラムの花道」水曜日担当)の中国・朝鮮に対する姿勢や発言があまり好きでなかった私としては溜飲が落ちる思いだった。中国人・朝鮮人・在日の友人をもつ私は、どうしても「彼らを傷つけるようなことを言って欲しくない」という気持ちになってしまうからだ。「町山vs勝谷戦争」――言論の戦争なのだから、ケリがつくまでやって欲しかった。しかし、博士の

「番組リスナーのためにも交戦して欲しくない」との飯島ディレクターの仲介があった。この国連平和維持活動には勝手にノーベル平和賞を捧げたいくらいだ。

「WEBダ・ヴィンチ|4ちゃんねる! - 水道橋博士」2006年2月3日

という発言に、私は己の矮小さを思い知る。

22日の「傑作選」放送の終盤で博士はこう言った:

勝谷さんもそうなんですけど、町山さんも、ナンかやっぱり、新聞が捨てるもの、雑誌が捨てるもの、いろいろ権威のあるものが捨てて「このネタ書けないな」というものを下流で拾ってるじゃないですか、そこがイイと思うんですよね。

「輝く!「コラムの花道」傑作選 オールタイム・リクエスト」TBSラジオ、2007年6月22日(金)

相対立する思想をもち、番組内で一度は激突したふたりのコラムニストを共通項で括りつつ、両者を同時に高く評価したのだ。この離れ業は、番組に対する博士なりの「ノーベル平和賞」授与なのかもしれない。ただただただ脱帽すると同時に、ラジオ・リスナーとしての私自身の底の浅さに恥じ入るばかりでありました。

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僕のラジオに手を出すな!

とにかく、ラジオが好きで好きでたまらないのである。

しかし身の周りにラジオずきの御仁は一向に見当たらない。したがって、夜な夜な私を身悶えさせる、ラジオに対するストイックな愛を、私は牡蠣ように固く口を閉ざして胸にしまいこむのだ。あるいは、道行く素知らぬ顔の老若男女も、私と同じ事情から、ラジオに対する想いを募らせながらも口を閉ざしているのかもしれない――そのような妄想に囚われても、真実は杳として知れない。ラジオ聴きたちは、その本質からして孤独なのだ。

DJは自分だけのために語りかけ、ラジオは自分だけのためにあるという神聖なる勘違いが、今日も私をラジオに向かわせる。

ラジオに耳を傾け、そして、笑う、怒る、あるいは心を潤す。そうした心情に駆られて跳び出した言葉を、このブログという小窓に託してみたいと思い立った。

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